「社員から慕われていたかどうかはわかりません。正しいことを言う人だったので、社員の中には反感を持った人もいたかもしれません。ある時、祖母の言葉に怒って殴りかかろうとした社員もいました。別の社員が必死に止めたそうですが、祖母は仁王立ちのままピクリとも動かなかった。殴りたければ殴れ、と言わんばかりだったそうです。結局その社員は辞めたのですが、後になって私は直接その人から祖母に感謝していることを聞きました。後にも先にも真剣に叱ってくれた人はいなかったと」

「当社で一番の古株の社員がいるのですが、その人が若いころに同僚同士で喧嘩をして工場に来なくなったことが2回ありました。祖母はそのたびに会社に来る前にその人の家に行き、一緒に会社に来たことがあります。厳しい中にも細やかな心遣いがあったのでしょう」

「海外旅行が好きで、90歳を超えたころに私と一緒にロシアに行ったことがあります。美術館を2時間、3時間かけて歩いて回りましたし、旅行中も3食を完食、とても元気でした。年末に脳梗塞で倒れて入院したのですが、大部屋でしたから他の患者さんと一緒です。すると、自分が一番年上なのに『こんなにお年寄りばっかりじゃ気が滅入る。早く退院したい』と言うくらいでした」

「入院中も意識ははっきりしていて、麻痺は残っていたものの亡くなる当日も元気にお昼ご飯を完食、リハビリをして翌日退院という段取りでした。しかし、その日の夕方に脳溢血でそのまま亡くなりました。
 会長は、祖母が年末に倒れた時に病院に見舞いに行きましたが、その後はずっと見舞いに行かなかった。ところが、祖母が亡くなる前日に急に見舞いに行くと言い出しました。会長も脳梗塞で車椅子なのですが、祖母と二人、車椅子同士で向かい合い、黙って20分程一緒に過ごしていました。それが祖母と会長が過ごした最後になりました」

「祖母は、ある意味で私の人生の目標でもありました。信念を持ち、それを実行していくことの大切さを学びました。祖母は、それを最期までやり遂げて逝きました。『あまりお金を使うんじゃないよ、もったいない』と言われるかもしれません。祖母の精神を今後も石屋製菓の経営に生かしていきます」(談)

  • 1
  • 2



18人の方がこの記事に「いいんでない!」と言っています。