石屋製菓(本社・札幌市西区)の前身、石水菓子店の創業時から夫の故幸安氏と現会長の長男勲氏(74)を支え、同社発展の基盤を築いてきた元常務のキヨノさんが99歳で2月20日に亡くなった。一世紀を生き抜いたキヨノさんは、『石屋製菓の母』と呼ばれ、社員や会社、お客、取引先を愛し続けた信念の人でもあった。時に厳しく時に温かく、社員を叱る時も真剣だったという。そんなキヨノさんを現社長で孫の創氏(36)はどう見ていたのか。(写真は、故石水キヨノさん=石屋製菓提供)

「祖母は、2007年、88歳になるまで製造現場で働いていました。毎日、工場を見て回って人手が足りない部署を見つけると、事務所に戻って総務や経理の担当者にも声を掛け、『早く来なさい』とみんなで手伝うようにしていました。
 仕事を1日も休むことはありませんでした。会社が家のような感覚なのでしょう。朝8時から夜6時まで工場にいて、それが終わったら京王プラザホテル札幌のお風呂に入ってから家に戻り、缶ビールを1本飲む。それが日課でした」

「祖母がよく言っていたのは、父・勲会長が1歳のころ一緒に旧満州から帰国する時のことです。深川出身の祖父は、南満州鉄道で経理関係の仕事をしていました。終戦で帰国する際に審査があったそうで、赤ん坊が泣いたりすると帰国できなかったそうです。運よく会長は泣かなかった。『あの時、勲が泣いていたら勲は残留孤児になっていたかもしれないし、石屋製菓もなかったかもしれない。勲が泣かなくて本当に良かった』と」

「祖母は私が生まれた時、とても喜んだそうです。姉二人だったので、跡継ぎとして私が生まれたことが嬉しくてたまらず、我慢してもついつい口元が緩んでしまったそうです」

「孫である私には優しい祖母でしたが、経営者になった私には厳しかった。『1日も休んではいけない』と言うのです。『経営者は1年365日、いつも社員のこと会社のことを考えなければならない』と。しかし、それでは身体が持たないので、会長から言ってもらってなんとか日曜日だけは休むことを認めてもらいました。祖母が言いたかったのは、経営者は休んでいても頭の中では会社のことを考えろということ。それを体現していたのが祖母でした」

「お金は貯めておくもので、使うことに抵抗があったようです。投資に関しても本当に必要なものかどうかを細かく見極めていました。一方で会長は、『金は天下の周り物』とどんどん投資をして、良い商品、良いサービスを提供、社員の給料も上げようとしました。祖母とはお金に関する感覚が正反対で、それはある意味でアクセルとブレーキを踏み分ける形で石屋製菓が成長する原動力になったのかも知れません」

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