モバイルを活用した融雪システムの遠隔監視や建設工事の現場管理などIoT(モノのインターネット)の先駆けとして事業を展開してきたエコモット(本社/札幌市中央区)。2007年の設立から10年間、IoTという言葉が生まれる前からモノとモバイルを駆使した現場で実績を作ってきた。そのエコモットが6月21日に札幌証券取引所アンビシャス市場に株式を公開した。上場を機に知名度向上を図り、技術者を積極的に採用、IoT事業の拡大を目指す。入澤拓也社長(37)に上場の狙いや今後の事業展開をインタビューした。※北方ジャーナル8月号同時掲載
_DSC_9807(いりさわ・たくや)1980年1月生まれ、札幌市出身。平岸高校卒業後に米国留学。2002年4月クリプトン・フューチャー・メディア入社、07年2月エコモット設立、代表取締役就任。
 
 —―入澤さんは最初、映画監督になりたかったそうですね。

 入澤 映画監督になりたくて高校卒業後にアメリカのシアトルにあるコミュニティ・カレッジに留学しました。1999年のITバブルが始まるころです。マイクロソフトやアマゾンがシアトルにあったので、ITがすごく盛んで必然的にそちらに興味を持つようになりました。映画監督よりITの方が面白い、と。
 アメリカ生活は足かけ3年弱。ITに首を突っ込み始めたのは渡米して1~2ヵ月目でした。シアトルの大学図書館では皆チャットやメールをしていたので『IT時代がくるぞ』と直感しました。当時はウィンドウズ98が出ていましたがノートパソコンは30万円くらいしました。高かったのですが、まずそれを買いました。
 
 ――アメリカでの起業や就職は考えなかったのですか。

 入澤 私は長男で弟や妹がいて、彼らは大学にも行くだろうからあまり親に負担をかけられないと思っていました。東京の私立大学に行ったら4年間で800万円くらいかかると言われていましたから、それを超えるとさすがに申し訳ないなと。留学してちょうど800万円ぐらい使ったかなという時に帰ろうと決めていました。
 カレッジを卒業したので編入して4年生の大学に進むことも考えましたが、学費や先程の800万円のことを考えたら難しいと判断して帰国することにしました。
 
 ――帰札後、クリプトン・フューチャー・メディア(以下、クリプトン社)に就職することになりますね。

 入澤 クリプトン社では、携帯電話の着信メロディーを作っていました。でも5年ぐらい経って『この仕事はもうやり切った』という思いが出てきました。それで辞めることにしたのです。その後は、アメリカの大学に戻ることも考えましたが、自分で会社を起業したいという思いも強く、起業する道を選択しました。
 在社中は準備などしたくなかったので、2007年1月30日にクリプトン社を辞めて皆にお別れ会をしてもらった次の日に司法書士に会いに行って会社設立の手続きをしました。会社を作るのに3週間かかるということで、ちょうど3週間後の2007年2月19日に会社を設立しました。
 
 クリプトン社勤務のころは、携帯電話のアプリケーションなどモバイルネットワークをやっていたので、モバイルの分野は絶対に可能性があると思っていました。携帯が世の中をドンドン変えていくと確信していたので、是非それに絡んだ仕事をやりたいと。
 そして今思うのは、クリプトン社の伊藤博之社長との出会いがとても大きな影響を私に与えたということです。伊藤さんは、本をよく読んで博識、アウトプットの的確性など私の起業の原動力になった面もあります。



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