2005年8月に創業したティーケーピー(TKP)は、オフィスビルの空きスペースやホテル、結婚式場の未利用時を利用した貸会議室ビジネスで急成長している。昨年の売上高は60億円、今年は100億円を達成する。社長の河野貴輝氏(39)は、元伊藤忠商事の為替ディーラーで、同社が新規事業としてスタートさせたカブドットコム証券の設立を主導的に進めてきた。その後、同社を退社してイーバンク銀行の設立に関与したが、「ITを使ってリアルな商売ができないか」と考え、TKPを設立、貸会議室ビジネスを思いついたという。17日、SATOグループ(札幌市)のセミナーで講演した河野氏の話をもとに、TKPのビジネスが急成長した秘密をシリーズで追う。(写真は、SATOグループセミナーで講演する河野貴輝氏=17日)
 
 TKPは、現在札幌をはじめ全国各地に貸会議室を120ヵ所、814室を展開する。リピーターを含めた法人顧客は延べ7万5000社に及び、先月1ヵ月だけを見ても6400社がTKPの貸会議室を利用している。
 
 売上げの軌跡を追っていくと、設立1年目の06年2月期は1億8000万円、07年2月期7億5000万円、08年2月期20億3000万円、09年2月期26億5000万円、10年2月期33億9000万円、11年2月期43億6500万円、12年2月期60億円と急成長。13年2月期は100億円を達成するという。
 
 なぜこれほどの成長を実現できたのか。そもそもの発端は、河野氏がインターネットの世界で決済や物流に関する事業を経験してきた蓄積がリアルな世界と直結したことによって、貸会議室というオールドビジネスに新風を吹き込んだことによる。
 
 と、言っても練りに練って始めたビジネスではなく、どちらかと言うと行き当たりばったりの思いつきによるスタートだった。その思いつきをビジネスとして昇華させる力量が河野氏にはあったということだろう。
 
 河野氏が言う。
「会社を作ったけど、お金がなかったので何か日銭の入る事業をしなければならなかった。たまたま、六本木ヒルズの近くを歩いていたら、東京ミッドタウンを建設するというので、ビルテナントの立ち退きが進み昼でも明かりの点いていないビルがたくさんあった。そのとき閃いたのは、取り壊しまでの期間、それを利用できないかということだった」
 
 取り壊すまでの期間なら安く借りられ、敷金も要らない。期間限定だからビルオーナーにとっても居座られる心配はない。河野氏は交渉をまとめて2階、3階のフロア計40坪を月20万円で借りることに。早速入居希望をネットで募ったところ、大手建設会社が現地事務所に使うことになり3階フロアを月25万円で借りてくれることになった。それだけでも儲けがでる。
 
 さらに2階のスペースを50区画に分けて1人1時間100円の貸スペースにした。「ドン・キホーテで椅子を50脚買い、アスクルでデスクを50揃えた。初期投資は15万円で済んだ。ネット限定で利用を募り、前金制にして営業を始めたら貸スペースは大当たり。月50万円の売上げになり、キッシャは貯まる一方。毎日通帳の記帳に行ったが、増えていくのが楽しみだった」(河野氏)
 
 カブドットコム証券やイーバンク銀行で経験してきたネット世界の蓄積が、ネット限定予約という手段で貸スペースのリアルな商売と結びついた瞬間だった。
 
 2号店は、結婚式場を貸会議室にするビジネス。「結構式場は土日しか使わない。これは、もったいない。平日のみ借りることにして売上げの半分を結婚式場に払うことにした。再びアスクルでデスクなどを用意してネットで利用を呼びかけたところ、大型の研修が2週間入ったのです。結果2週間で400万円の売上げになり、半分は結婚式場に払い、残り半分はうちのものになった」(河野氏)
 
河野氏は、独立したころ、家電メーカーの中国進出などを橋渡しするようなコンサル事業を想定していたという。貸会議室はフロック(まぐれ)のようなものだったが、貸会議室事業がどんどん大きくなっていく。
 
「最初は月50万円だったが、それが200万円、300万円になり5ヵ月目には月1000万円になった。6ヵ月目には2000万円になってしばらく足踏みしてから3000万円、4000万円に拡大していった。事業というものは一直線で増えて行くのではなく、ある時期に足踏みの期間があってからまた伸びていく。足踏みの期間が長ければ長いほど次の成長率が高くなることも体感として理解できた」と河野氏は話す。
 
 いつしかコンサルで身を興すという考えは頭の中から消えていた。
                                   (次回に続く)



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