北海道建設新聞社(本社・札幌市中央区)が建設・土木の専門報道という枠を越え、地域産業、地域経済の専門報道に範囲を広げてメディアとしての存在感を高めている。そんな中、2019年5月27日付で専務から社長に昇格したのが小泉昌弘氏(62)。創業者で初代社長の松木秀喜氏から数えて5代目、プロパーとしては3人目のトップになる。(写真は、小泉昌弘氏)

 北海道建設新聞は1958年7月創刊、今年で61年目の日刊専門紙。現在の従業員数は約120人、編集局や営業局、制作局など5局体制で編集局がほぼ半数の人員を占めている。札幌本社のほか道内8支社4支局の13拠点を持つ。道の総合振興局・振興局、北海道開発局の開発建設部のある地域にはいずれも拠点を有し、東京駐在も置いている。

 専門紙としては全国でも珍しく一般紙や通信社、放送局が組織する記者クラブにも加盟している。ABC調査による有料発行部数は約1万部、年商は約13億円。
 小泉社長は、「建設業界の専門紙として成長してきたが、バブル崩壊後に建設会社の倒産や合併、再編が相次いだ。それまで、倒産の報道は控えていたが、倒産や廃業などは経済の新陳代謝として避けては通れない現象。事実を確認して報道することを条件に倒産事件も報じるようになった。そういう中から、岩田建設と地崎工業の合併スクープが生まれた。天塩町の石山組と札幌市の石山組の合併でも先行、それ以降、公共の土木・建築が専門の報道から民間建築、民間経済の分野にも範囲を広げていくようになった」と話す。(以下、発言は小泉氏)

 そうした守備範囲の拡大に伴ってネックになったのが記者会見に参加できないことだった。「一般紙の記者クラブで行われる企業などの記者会見に出席できず、重要な情報を読者に十分に届けられない悔しさを日々感じるようになっていた。もちろん専門紙の記者クラブには加盟していたが、それだけでは補足できない場面が増えていた。それならといっそのこと一般紙の記者クラブに入ろうと決めたわけです」

 一般紙の記者クラブは、親睦組織のため加盟社の同意があれば加盟できる仕組み。2009年に札幌市政記者クラブに加盟、同じ年に北海道経済記者クラブにも加盟、現在は道政記者クラブのほか各総合振興局・振興局の記者クラブなど20ヵ所に加盟している。

 同社が専門報道の領域を広げ出した背景には、バブル崩壊による購読部数の減少と無縁ではなかった。「北海道開発予算はどんどん減少し公共工事も縮小していった。公共工事の報道は大事だがそれだけに頼っていては大変なことになる。部数減の危機感を肌で感じ、これまでの編集姿勢を変え、建設に関わる周辺産業にも取材対象を広げていった。そのことよって新たな読者開拓が可能になった」

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