「セイコーマート」が8月10日に50周年を迎えた。今や北海道に1079店舗、茨城県に83店舗、埼玉県に9店舗(2021年7月末現在)を展開する地方コンビニの雄に発展したが、その原点になったのは1号店の「セイコーマートはぎなか店」(札幌市北区北30条西8丁目)。その店は、今も健在だ。立地的には恵まれていると言い難い住宅地の1号店は、どのように生まれたのか。(写真は、セイコーマート50年の歴史がパネル展示されている1号店「セイコーマーはぎなか店」の店頭に立つオーナーの萩中末雄さん)

「セイコーマートはぎなか店」のオーナー、萩中末雄さん(84)は2年前まで店頭に出て働いていたが、現在は店舗運営をセイコーマートの本部に任せている。
 萩中さんが、1971年、34歳でコンビニエンスストアを始めるきっかけになったのは、当時の酒類卸、丸ヨ西尾(現セイコーフレッシュフーズ)の赤尾昭彦さん(後にセイコーマートを創業、会長を歴任して2016年死去)のアドバイスによるもの。それまで、萩中さん夫婦は酒屋を営んでおり、赤尾さんが注文を受けて配達をしていた。萩中さんより3歳年下だった赤尾さんは、ある日、「コンビニエンスストア」への転換を勧める。

 2人はまだ30歳代、意欲に満ちていた。赤尾さんを信頼していた萩中さんは、それに従うことにした。「赤尾さんはその頃、三越も担当していて、三越の食品売り場を参考に品揃えを決めていきました。当時の丸ヨ西尾は酒や雑貨を卸していたものの野菜類は扱っていなかったので、私が市場で直接調達してパックにして売っていました」と萩中さん。店名を「萩中商店」から「コンビニエンスストアはぎなか」に転換、「セイコーマート」半世紀の歩みがスタートした。

 商品への値札貼り、レジの品目分けなど、2人の試行錯誤が続いた。「赤尾さんは、店の商品を8項目に分けて、レジ打ちの際にどの商品が何個売れたかが分かるようにしてくれた。8項目を『ヨキミセサカエル』(良き店栄える)として、『ヨ』は野菜や青果、『キ』なら日配品、『ミ』は飲料などとしてレジを打っていました」(萩中さん)。
 その頃の北30条西丁目界隈は、まだ民家が少なく道路も舗装されていなかった。赤尾さんはスーパーカブに乗って、売れた商品を翌日に配達して補充。冬は外套を着てスーパーカブでやってきたという。

 同業者からは「すぐに潰れるよ」と揶揄されることもあった。「当然、赤尾さんの耳にもそういった声が入っていたと思う。でも、そんな声を吹き飛ばすほど赤尾さんは熱心だった。最初の頃は、赤尾さんに店の税務申告をお願いしていた。あの人は数字が得意だったから」と萩中さんは話す。

 店舗は、住宅地の中にあって大きな通りに面しておらず、地下鉄駅に近い立地でもない。「当時も今も通りすがりのお客は少なく、周辺に住んでいる人たちが大切なお客です。1971年のスタート当初から地域のお客に受け入れられたコンビニだったことが、今日まで続いてきた理由だと思います」と萩中さん。
 50周年について、「セイコーマートがこんなに大きくなったことは率直にうれしい。これからも道内企業として長く続いてほしいですね」と話した。帰り間際、萩中さんは、「記事を書くならセイコーマートが伸びるように書いてね」と付け加えた。1号店オーナーのセイコーマート愛は、半世紀を経てなお深く濃いことを示すひと言だった。
(写真は、50周年のモニュメントがある「セイコーマートはぎなか店」)


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