鶴雅ホールディングス・大西 希社長インタビュー「チーム力で次の時代を拓く」「新たな世界観で支笏湖の魅力を発信」

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 ──今回の社長就任の経緯は。

 大西 鶴雅グループは、持ち株会社のホールディングス傘下の2つの事業会社で14施設を運営しています。そのうちの1社、「あかん遊久の里 鶴雅」などを運営している鶴雅リゾートの生え抜き社長が退任することになったのがきっかけです。
 阿寒湖に始まった旅館経営を、サロマ湖への進出をきっかけに多地域・多施設へと広がる、その拡大期を支えてくれたのが先輩の幹部たちです。スタートアップのようなスピード感の中で、毎年のように新しい挑戦を続けてきたからこそ、今の当社があります。一方で、そのスピードに対して組織の中身が追いつかず、職務の属人化など、規模とのギャップが生まれていたのも事実です。

 ──いわば権限が特定の幹部に集中し、全体のガバナンスがしっかりと確立されていなかった。

 大西 鶴雅リゾートの社長交代の機会に、今後の社員のキャリア形成のためにも組織を整えようということになりました。ホールディングスにリソースを集中させ、そこで戦略立案や状況分析を行ない、現場を支えていく。誰が見ても分かりやすい組織にしようと、ホールディングスのトップだった父に提案しました。しかし、最初は却下。父の懸念は、今までのようにスピード感を持って決断できなくなり、家族経営の良さが失われるのではないかというものでした。

 ──確かに家族経営の良さが旅館業にはあります。

 大西 父の意向を踏まえ、一緒に考えてくれた若手メンバーたちともう一度練り直しました。鶴雅は祖父の創業期があり、父が手掛けた拡大期があった。そしてこれだけ大きくなった規模の組織をこれから引っ張っていくには、どうしたら良いのか。大西雅之のようなカリスマ性は、私にはありません。自分に何ができるのかを考えた時、それは「チームの力で前に進んでいく」ことでした。今後、組織を強くしていくにはやはり提案した形しかないと、もう一度父に伝えました。

 ──社内的にボトムアップの部分が少し欠けていた。

 大西 拡大期にはトップダウンが必要でした。父や幹部の号令でブルドーザーのように突き進んできたからこそ、成長できたのだと思います。しかし、これからの時代はもっと風通しの良さが必要とされてきます。逆に言うと、そこの部分で、弊社にはまだ伸び代があるということです。

 そうして再度提案をしたところ、「分かった」と。そして「これを機にいっそ代替わりをしよう」と突然指名を受け、大変驚きました。でも今思えばそれで良かったのかなと。父は今も元気なので、いろいろ相談をしていますし、取締役会ではよく怒られています(笑)。

 ──現会長の大西さんは新しくつくる温泉宿を「作品」と表現し、それぞれの地域が持つ魅力やポテンシャル、文化と歴史を旅館という形で再定義されてきた気がします。

 大西 「北海道ブランド」のみで訴求できていた歴史が観光業界にあります。そんな時に、地域の魅力を宿に取り入れ始めたのが父でした。本州の旅館では当たり前でしたが、北海道はあまりやっていなかった。そういう意味で、当時はブルーオーシャン(未開拓の新規市場)だったのではないでしょうか。ルーツである阿寒湖温泉地区にアイヌ文化があったことが大きかったです。

 ──昨年で創業70周年。現会長のこれまでの功績については。

 大西 社長交代後、若手幹部を中心に策定した中期事業計画をスタートさせました。その若手たちが一番大事にしているのが、父がつくった「私たちは郷土力を磨き、地域と共に100年ブランドを目指します」という企業理念です。時代は急激に変化していますが、今の若者にも父のビジョンが響いていると実感しました。そのため、まず私がやらなければいけない仕事は、この理念を今の時代に合った具体的な施策に落とし込むこと。あらためて、会長は先見の明がある凄い経営者だと思います。

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