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 「北のミュージアム散歩」は、道新文化センターのノンフィクション作家を育成する「一道塾」(主宰・合田一道)の塾生が書いた作品を連載するものです。道内にある博物館、郷土歴史館、資料館などを回り、ミュージアムの特色を紹介しながら、ミュージアムの魅力やその存在する意味を問いかけます。
 第18回は、札幌市の「札幌市手稲記念館」です。ぜひご愛読ください。

(合田一道)

■第18回 札幌市手稲記念館 ―手稲開拓の歴史を語り継ぐ―

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札幌市手稲記念館

 札幌市の地下鉄東西線宮の沢駅から、西野屯田通を南に向かって少し歩くと、緑の木立ちに囲まれた白い建物が見えて来る。札幌市手稲記念館である。

 この記念館については、初め旧手稲町が、開拓の歴史を記念する施設として建設を検討していた。その後、昭和42年(1967)に同町と札幌市が合併すると同時に、この事業は同市に引き継がれ、44年11月に記念館として開館した。記念館の敷地は2,600平方メートル、平屋建ての建物の総面積は690平方メートルで、内部は郷土資料展示室のほか、講堂、小会議室なども備えている。

 記念館の玄関から郷土資料展示室に入ると、先ず直径3メートルほどのクロエゾマツの年輪標本(推定年齢330年)と、「手稲開村の発端」と題するパネルが目に入る。パネルによると、「手稲」という地名はアイヌ語の「テイネィ」(霧深く湿った所)に由来しており、明治5年(1872)に仙台藩白石領から47戸、241人がこの地に集団移住して「手稲村」を名乗ったのが、村を開いた最初だったことなどがわかる。
 ここから順次、各コーナーを見ていくと、最初の「開村前の手稲」コーナーでは、「手稲遺跡」について説明したパネルや多数の石器や土器などが目につく。

 この遺跡は紀元前2千年以前のものと推定され、大正年代の初めに地元小学校の校長が児童を引率して手稲前田の砂山で発掘して以来、昭和29年(1954)頃から本格的に発掘されたという。その他、鉱物の標本や手稲鉱山の文献なども展示されている。
 「手稲の自然」のコーナーには、ヒグマ、エゾシカや野鳥類などのはく製、アンモナイトの化石、土壌の標本、バッタ塚の土の標本などが展示されている。バッタ塚の説明文には、明治15年(1882)頃、この地方にトノサマバッタの被害があり、新川河口付近に捕獲したバッタや卵を埋めたと記されている。

 「手稲の開拓」のコーナーには、開拓者の顔写真、開拓に使われたノコギリ、脱穀機、馬橇などの農機具類や、衣類、ランプ、機織り機、防寒具など開拓者の生活をあらわすものが所狭しと展示されている。
 「手稲の教育行政」のコーナーには、教育関係古文書、教育功労者の顔写真などが展示されているが、中でも「上手稲移住者貫属取締・時習館創設者 三木勉」と書かれた顔写真が目につく。

 三木は仙台藩白石領からの移民のリーダーとして上手稲(手稲区宮の沢)に入植した人物で、この地で開拓に当るかたわら子弟の教育にも情熱を注ぎ、明治5年(1872)には自宅を開放して時習館(私塾)を開設した。塾の名は「学んで時に習う」という中国の古語にちなんだもので、間口4間(7メートル)、奥行き6間(11メートル)の小さな建物に、7人の入学児童を迎えてスタートした。これが現在の手稲東小学校に繋がっているという。

 「通信・交通・文化・スポーツ」のコーナーには、手稲鉄道網のあゆみをまとめたパネルやスポーツ関係の賞状、トロフィー類などのほか、昭和39年(1964)のオリンピック東京大会のとき、町内の若者達が星置で小樽組に引き継いだ聖火リレーのトーチと、初代戸長で開拓者の片倉景範の子孫が寄贈した大きなコケシが、それぞれ展示されている。
 そのほか、「手稲の産業と農業行政」や「手稲の行政(自治と経済)」コーナーがあり、それぞれが時代とともに変遷して来たことを示す多くの資料が展示されている。

  館の前庭に出て、明るい日差しの中に立っている二つの記念碑ー手稲開基百年記念碑」(昭和46年(1971)建立)と「上手稲開村記念碑」(明治43年(1909)建立)ーを眺めた。
「…手稲草創の時代より今まで数代に亘って厳しい風雪と血のにじむ困苦に堪えたゆまぬ努力を町造りに捧げられた先人達に感謝の誠をこめてこの碑を建立…」
 という百年記念碑の碑文が、とくに印象に残った。

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館内光景

利用案内
所 在 地:札幌市西区西町南21丁目  TEL:011-661-1017
アクセス:地下鉄東西線宮の沢駅から徒歩10分
開館時間:午前9時~17時。休館日は祝祭日、年末年始、火・木・土
入 館 料:無料

付近の見どころ
 「白い恋人パーク」(西区宮の沢2条2丁目)では人気の高い菓子「白い恋人」の製造ラインが見学できるほか、菓子作り体験工房などがある。上手稲神社(西区西野)は、移住者が宮の沢地区に建てた小祠を現在地に移転したもので、参拝者の心を洗い清めてくれる。

文・写真 北国 諒星

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