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 「北のミュージアム散歩」は、道新文化センターのノンフィクション作家を育成する「一道塾」(主宰・合田一道)の塾生が書いた作品を連載するものです。道内にある博物館、郷土歴史館、資料館などを回り、ミュージアムの特色を紹介しながら、ミュージアムの魅力やその存在する意味を問いかけます。
 第17回は、札幌市の「キノルド資料館」です。ぜひご愛読ください。

(合田一道)

■第17回 「キノルド資料館」 -北海道にカトリックの女子教育を-

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キノルド資料館

 朝昼夕と修道院の鐘が響く。札幌市北区北16条西2丁目の一帯は、キリスト教カトリックのミッションスクール、藤学園の校舎が建ち並ぶ。南門を入るとすぐに、創立者の名前が付いた「キノルド資料館」がある。

 1925(大正14)年、スイス人の建築家マックス・ヒンデルが設計したドイツのバロック風建築の校舎が、築70年の老朽化に伴い、取り壊されることになった。由緒ある学び舎の解体を惜しむ卒業生の声は大きく、古い校舎を残したいという運動が展開された。卒業生の強い願いに押されて、2003(平成15)年、解体した古い建材をできる限り利用し、三分の一の規模に縮小された木造二階建て総面積280平方メートルの資料館が、再現した。

 外壁は赤みがかったベージュ色のトタン板張り、窓枠と手すりは緑色。赤い屋根の上には、玉ねぎ塔が置かれた。ここには、創立から未来へ向かう学園の歴史を示す資料が、収蔵され展示されている。
 入り口のドアもガラス戸も床も、昔の建材だ。それらはピカピカに磨き込まれている。展示室には、学校ができるまでの長い苦難の歴史が、写真と縁の品々と共に語られている。

 1907(明治40)年、北海道のカトリック宣教活動の責任者であったドイツ人のヴェンセスラウス·キノルド司教は、開拓地北海道の発展、文化向上のためには、土台となる女子の教育が重要であると考え、カトリックの女学校の設立を故国ドイツの修道会に願い出た。
 1914(大正3)年、4人のドイツ人修道女が学校設立のために派遣された。遠い異国日本への旅は、船がスエズ運河にさしかかった時、第一次世界大戦が勃発して進むことができなくなった。6週間を船の中で足止めされた後、やむなくドイツに引き返した。

 大戦が終結して1920(大正9)年、再び3人の修道女が二か月の船旅の後、札幌に着任した。しかし、大戦後の欧州は大恐慌に襲われ、敗戦国のドイツマルクは暴落して紙切れ同然になってしまった。準備してきた建設資金では、学校を建てることは不可能になった。だが、強い使命感に燃えていた修道女たちは、ひるまなかった。戦勝国であるアメリカのカトリック信者たちに、協力を願い出た。学校を建てる寄付を依頼する手紙を、毎日毎日書き続けた。健康を損ないながらも打ち続けた、古いタイプライターが展示されている。

 4年あまりの苦難の末に、1925(大正14)年4月、開学を迎える。しかし、その後も困難は続く。ドイツ人の初代校長は、始業式の直後病死する。
 次の試練は1932(昭和7)年2月、真冬の夜中の火災で、校舎の一部を消失してしまう。その時、床下と屋根裏に断熱材として敷かれていた石炭殻が、防火壁の役目を果たして類焼を防いだ。そのヒンデルの建築方式が、再現されている。

 太平洋戦争が始まると、外国人修道女はスパイとみなされ、軍部から厳しい弾圧を受ける。外国語を教えることはできなくなり、ドイツ人の校長は罷免された。日本人修道女が校長を引き継ぎ、着物と袴姿となり時局を乗り越えた。
 1945(昭和20)年終戦を迎え、やっと北海道の女子教育に理想をそそぐことができる、新しい時代がやってきた。幾多の困難を乗り越えて学校を発展させてきた、忍耐、努力、勤勉、質素堅実の精神は、学校の教育方針となって受け継がれている。

 この資料館は、世界中に繋がっている、キリスト教の世界を教えてくれる。そして、ここを訪れる卒業生は、かつての女学生時代に着た制服が、年代ごとに展示されているのを見て、懐かしく感涙にむせぶ。古い名簿に載っている自分の名前を発見し、若き日の文の園生の女学生に戻る。卒業生にとっての、たいせつな心の故郷であるのだ。
 「北区歴史と文化の八十八選」の、文学と学問の道<鉄西・幌北コース>に、「旧藤高等女学校校舎(キノルド記念館)跡」として紹介されている。

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館内光景

利用案内
交通機関:地下鉄南北線北18条駅下車徒歩7分
     中央バス北15西1下車徒歩5分
開館時間:4月~10月 月曜、水曜から金曜日 13時~16時
     11月~3月 閉館
電  話:011-707―5001

付近の見どころ
 藤学園の校庭には、藤蔓が枝をのばし40メートルもの藤棚が続き、沙羅双樹の大木が緑葉を繁らせる。戦時中の奉安殿はマリア堂となり現存する。大理石のマリア像は無限大の慈悲の心で両手を広げている。

文・写真 山崎 由紀子

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