――話は少し外れますが、信用組合はある意味で信金以上に地に足をつけていますから、より地域に密着しているのではありませんか。以前、北海道信組協会の会長にインタビューした際、「こういう時代だからこそ、自分たちのやってきた地道な営業活動が生きてくる」と話していました。

 齋藤 どぶ板のような営業姿勢は良いですが、問題はそのどぶ板の先です。どぶ板の先のどぶを掴むかどうかが問われます。つまり、本当にその企業を良く知っているのかが、どの金融機関にも突き付けられている問題だと思います。今まで融資をしてきて滞りなく返済を続けてきてくれたので、与信枠から例えば1000万円くらいは貸しても大丈夫という定量的なことは分かっているとしても、これから先、企業が多角化をする、業態を転換する、というようなときに資金の出し手である金融機関の側が過去に引きずられすぎているが故に、対応できなくなってしまっているからです。
 『この社長は多角化をやり切れる能力がある』、『困難にぶつかっても決して途中で投げ捨てるようなことはしない』など、そういう見極めが求められていますが、『今までの与信でいくと、お宅には1000万円ぐらいが限度です』というような形で始末をつけてしまう発想が未だに残っているのではないでしょうか。

 ――しかし、なかなか急に転換するのは難しいのでは。
 
 齋藤 確かに難しいでしょう。しかし、転換しなければいけないと言われたのは、直近でも1997年の北海道拓殖銀行の破綻のときであれから20年も経っています。森信親・金融庁長官の“新しい金融行政”で地域金融機関が慌てるのは、特に北海道にとってみればおかしな話です。20年前に、ポスト拓銀の時代という形で、そのことを準備しておかなければいけなかった。当時からそのことが言われていたのに動きが鈍かったことのツケが、今になって二重に現れているのが北海道の信金業界なのかもしれません。
 
 ――当時は、地域密着型金融機関の姿として“リレーションシップバンキング”という考え方がありましたね。

 齋藤 “リレバン”というのは、金融庁が大手銀行に不良債権を早く始末するように言った代わりに地域金融機関に求めた姿です。つまり地域金融機関が不良債権処理を急ぐと地域に激震が走りますから、長い信頼関係の中で始末をつけたり、取引を正常化していくことを求めた訳です。

 ――でも、“リレバン”の求める姿は、信金が従来から進めていたこと。当時、取材すると『うちはもともと地域に密着してやっている。リレバンと言われる前からその主旨に沿った展開をしている』という理事長が多かったですね。

 齋藤 それはわかります。私もこれまでの信金の経営姿勢を否定するつもりはありませんが、今まで行ってきた“リレバン”が、本当に“リレバン”だったのかは、不断に問い直すことが必要です。長年の親密取引先ということに甘えてしまい、実はその企業の経営の内実をあまり知らなかったということもあるかもしれません。
 
 信金の場合、トップの理事長が親密な取引先というのは金庫内でも良く知られています。でも担当者はどうでしょう。担当者は、転勤でよく異動しますから、その担当者が知っていることをきちっと次の担当者に受け継いでいるかどうか。どうもそのあたりは十分ではないようです。『担当者が変わるごとに、1から当社のことを語らなければならない』という社長は大勢います。取引先企業の情報をその金融機関全体が共有して知っているかというと、やっぱり“クエッション”が付く気がしますね。(続く)

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