一般社団法人倶知安観光協会の吉田聡会長(50、吉田聡司法書士・行政書士事務所所長)は21日、札幌市中央区のキャリアバンクセミナールームで行われたSATOグループオープンセミナーで講演、ニセコエリア観光の今後について約90分間話した。吉田氏はニセコで働く外国人従業員の子弟教育、地元の子供たちの語学教育など今後のニセコの発展には教育問題が欠かせないと指摘した。参加者100人が熱心に聴講した。IMG_7011(写真は、講演する吉田聡・倶知安観光協会会長)

 倶知安町出身の吉田氏は、中央大法学部卒業後、1993年に司法書士登録して札幌で開業。得意だった英語の勉強のため99年から1年間カナダ・バンクーバーに留学、帰国した2000年に故郷、倶知安で司法書士事務所を開設した。

 吉田氏が倶知安に戻ったころは、オーストラリア人でニセコ観光の開拓者とも言われるロス・フィンドレー氏が尻別川のラフティング会社を軌道に乗せたり、ロス氏の友人、ピーター・マーフィー氏がスキージャパンを設立、パウダースノーをオーストラリアに発信してスキー客を呼び込むなどしていた時期。「私が倶知安で開業した当時は、『外国人が多いな』という程度で今のようになるとは考えていなかった」と吉田氏。

 ロス氏やピーター氏の下でアルバイトをしていたオーストラリア人のベン・カー氏がある日、吉田氏を訪ねて「オーストラリア人でも日本の不動産は買えるのか」と聞きにきた。ニセコエリアの不動産を購入したいオーストラリア人はたくさんいるという。
 そこで吉田氏とベン氏は外国人向けの不動産会社「ニセコリアルエステート」を設立、吉田氏は初代代表に就任した。「カナダで契約書の翻訳を勉強していたが、まさかその勉強がこんなに役に立つとは思ってもみなかった」と吉田氏は振り返る。

 その後、オーストラリア人によるヒラフスキー場周辺の不動産購入が活発化するのだが、それを後押しした理由の一つが通信のブロードバンド化だった。「通信インフラが整備されていると外国人は不便を感じない。地域の意見を吸い上げて役場に要望して実現したが、これがその後のニセコエリアの発展に有利に働いた。役場も先見の明があった」と吉田氏。

 80年代後半に封切られた『私をスキーに連れてって』の映画によるスキーブームでニセコエリアには脱サラしたペンション経営者が大勢いた。しかし、その後のスキー離れで多くのペンションが売りに出されていたが、オーストラリア人のニセコブームがうまくマッチ、不動産取引は活発になって行った。

 04年にはロスの友人、サイモン・ロビンソン氏が「HOKKAIDO TRACKS」を設立、コンドミニアム販売を手掛ける。コンドミニアムという言葉はこの時初めてニセコエリアに入ってきた。同社はこの地区のコンドミニアム販売の先駆けとなったが、その後も1億円の一軒家がどんどん売れる状況が続き、07年、08年と倶知安町の住宅地公示地価は2年連続で上昇率日本一になった。

 そして、08年9月のリーマンショックが襲う。不動産取引は激減、「バブル期のリゾート地と同じ運命を辿るのか」と吉田氏はその時思ったという。(以下、続く)


12人の方が「この記事が参考になった」と言っています。