ストアプロジェクト40周年 間宮社長が語る過去と未来

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 商業施設の企画設計、施工のストアプロジェクト(本社・札幌市中央区)が今年10月で設立40周年を迎える。食品スーパー(SM)の出店を支える裏方役として業界の発展に貢献、現在はSMだけでなくホームセンターやドラッグストアなど小売業全般に事業の裾野は広がっている。さらに50周年を見据えてデベロッパー事業にも取り組み始めた。P1080944(写真は、間宮明雄社長)

 ストアプロジェクトを創業したのは、間宮明雄社長(69)。狸小路商店街の近くで生まれた生粋の札幌っ子で、札幌工業高校を卒業後に岡村製作所入社。昭和40年代は札幌市内や道内各地でSMが多店舗展開を始めたころ。間宮氏は、SM向けにゴンドラやショーケースなど岡村製作所の商品を納入する傍ら自らも図面を引いて店舗設計の協力をしてきた。
 間宮氏には最初から独立志向があった。同社に10年間勤務したのを区切りに昭和51年退社、30歳のころ1人で起業した。
 
 最初は、SM向けの仕事から足を洗うつもりでいたが、やはりおいそれと仕事はない。悶々としていたところへ、岡村製作所時代に知り合った東急ストアの常務から『何もしていないのなら手伝ってくれないか』と誘われ、北栄店(札幌市東区)の建設に携わることになる。
 
 その仕事を続ける中で、「やはりこの仕事しかない」と間宮氏は、その後、東急ストアの店舗を中心にSMの企画設計を生業(なりわい)とするようになった。昭和50年代の初めは、SMを熟知している技術者は殆どいなかった。「ある時、SMに冷房のオープンケースを入れることになり仕様書を見たら配管に鉄を使うようになっていた。熱伝導の特性から銅の配管を使うことが当時はあまり知られていなかった」と間宮氏は述懐する。
 翌年、釧路の和商市場から2億円の冷房設備工事を受注。まだ30代の間宮氏が市場の100人近い海千山千の組合員を1人ひとり回って工事のゴーサインを取りまとめた。釧路に半年間滞在して工事をやり遂げた後、札幌に戻ってくると東急ストアの次の新店工事が待っていた。起業2年で年商は3億円を超え、1人起業はいつしか4人の所帯になっていた。
 
 間宮氏はそのころから、年に数回米国に出張してアルバートソンなど米国のSMを視察、最新店舗のトレンドを学び、合わせて渥美俊一氏が主宰するペガサスクラブにも入会、SMを徹底的に勉強していった。
 しかし、大規模小売店舗法(大店法)の規制が強化され商店街や商店主の意向が強く反映されるようになった昭和56年以降、SMの出店がままなくなり事実上ストップ状態に。同社も厳しい時代を迎えることになった。そのころ、商店主たちが集まるススキノの飲み屋に立ち寄って話の糸口を掴む努力をすることもあったという。
 
 結局、平成12年施行の大規模小売店舗立地法(大店立地法)の数年前からSM出店に対する反対の声が少なくなって出店もスムースに進み、同社もそれまでの東急ストア1本からコープさっぽろやダイイチなどの新店も手掛け、業績は上向いていった。
 しかし、この5年間で道内SM業界は寡占化され出店ペースは鈍っている。以前は、売上げのほとんどをSMに頼っていたが、最近はホームセンターやドラッグストアの仕事も増えてきた。今はこれら3つの分野が収益の柱になっている。社員数は16人、年商規模は10億円規模になった。
 
 40周年を目前にして今後はSMを軸にした展望は描きにくくなっている。新たな事業として育成しているのがデベロッパー事業だ。土地を探して地主との折衝からテナント誘致、企画設計、収支、工事などワンストップで事業化を進めていく。三菱商事と組んで手がけた北広島市大曲の「インターヴィレッジ大曲」はその嚆矢になる物件だった。
 
 今年3月25日にグランドオープンした江別市野幌の観光商業施設『EBRI』は、レンガ造りの旧ヒダ工場を3億円投じてリノベーション、蘇らせた。市の指定管理者として観光発信拠点に位置付けて運営していく。「EBRIはまさに当社40周年の節目の事業だ。今後は、待ちの仕事から攻めの仕事に転換して成長を模索していきたい」と間宮氏は話す。
 
 プライベートでは、神輿を担ぐ北海睦(むつみ)の4代目会長を10年前から務める大の神輿(みこし)ファン。「神輿は日本人のDNAそのもの。一度でも担ぐとその時の高揚感が忘れられなくなる」と間宮氏。全道には約170の神輿を担ぐ会がある。1年に10回は神輿担ぎの応援に地方まで足を伸ばすという。神輿を担ぐ者同士の連帯感が広がる。
 

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