札幌商工会議所と北海道商工会議所連合会の主催で4日、札幌市中央区の札幌パークホテルで「北海道経営未来塾公開講座」の第5回講演会が行われた。講師はファンケル代表取締役会長ファウンダーの池森賢二氏(80)。池森氏は、『物事は単純に考えよう』をテーマに、脱サラして始めた事業の失敗や化粧品事業を始めたキッカケ、成長の原動力になった単純化する考え方などについて熱弁を振るった。IMG_8538(写真は、「物事は単純に考えよう」をテーマに講演する池森賢二氏)

 池森氏は1937年6月生まれ、三重県伊勢市出身。幼くして父親を亡くし苦労したが、縁あって22歳で小田原ガスに入社。順調に出世していたが13年目の時に、ふと「自分は一生、この会社に勤めるのか」と疑問を感じたのをきっかけに36歳で脱サラする。仲間13人が資本金を持ち寄って6000万円でボランタリーチェーンのコンビニエンスストアを設立。全員が出資したので全員が取締役になり、年齢順に社長を務めることにして、池森氏は年齢が上から3番目だったため常務に就任した。

 しかし、社長に就いた2人が相次いで蒸発、結局池森氏が社長に就いたが、設立2年半で会社は倒産してしまう。会社には6000万円の負債が残った。倒産時の社長として池森氏は3つの選択肢を考えたという。1つ目は自殺してお詫びすること。2つ目は蒸発すること。そして3つ目は取引先10数社を回って謝ること。悩んだ末に池森氏は3つ目を選んだ。

 取引先の多くは池森氏を責め厳しい言葉を浴びせたが、大阪のある取引先では「池森さんが社長になってから業績は上向いていた」と言葉を掛けられ、大阪での食事代と宿泊代を払ってくれたという。また、名古屋の取引先では「あなたの会社に卸して得た利益と同じくらいの焦げ付きだから、返済はいいよ」と言われた。すべての取引先から責められると思っていた池森氏にとって、これは意外なことだった。

 会社を整理してみると最終的に個人保証していた2400万円の借金が残った。「これを返さなければ私の明日はない」――ファンケルに繋がる池森氏の原点だという。

 さて、どうやって返すか。池森氏の兄が東京・江東区でクリーニング店を経営していたため、池森氏は当時珍しかったクリーニング店の御用聞きを始めることにした。クリーニング店にお客が洗濯物を持ち込むことが主流の時代。池森氏は外回りをして注文を取ることを始めたのだ。白衣を着て蝶ネクタイをして近くにできた14階建て都営団地をテリトリーに昼から夜遅く、時には午前2時ころまで働いた。

 兄との約束は、受けた注文の半分を池森氏が報酬として受け取るもの。月300万円の売り上げなら150万円が取り分になる。家には10万円を入れ、他は借金返済に回し、2年半で完済することができた。「このことは私にとって大変な自信になった。やり直せると強く思った」と池森氏は話した。

 借金を返してしばらくたって家内の顔を久しぶりにじっくりと見ると、顔に吹き出物が出来て化粧をしていないことに気付いた。化粧が大好きで女優を目指していた家内が化粧をしていない――聞くと肌荒れして化粧水や乳液か使えないと。「なぜだろう」――化粧品の知識がなかった池森氏の素朴な疑問がファンケル創業に繋がっていく。(以下、次回に続く)


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