札幌商工会議所と北海道商工会議所連合会の主催により、札幌市中央区の札幌パークホテルで開催された「北海道経営未来塾公開講座」第5回講演会。講師はファンケル代表取締役会長ファウンダーの池森賢二氏(80)。『物事は単純に考えよう』をテーマに半生を振り返った講演の後半を紹介する。IMG_8541(写真は、講演する池森賢二氏=2017年10月4日午後)

 当時の化粧品には、防腐剤や保存料、香料や色素が含まれていた。家内は、こうした成分が入っていなければ使える。しかし、こうした成分がないと化粧水は1ヵ月で酸化して濁り、乳液にはカビが生えてくる。そこで化粧品に門外漢だった池森氏は閃いた。「化粧品が劣化しないうちに使ってしまえばよいのではないか」――と。そうして出来上がったのが、当時の業界常識を破った無添加化粧品だった。それを売ろうと自己資金21万円で個人創業したが、訪問販売の反応が良くない。

 そこでチラシを撒くことにした。自宅近くのアパートや団地など一軒ずつ配布すると、やがて口コミで少しずつ利用者が広がっていった。最初は注文があると池森氏が1人で配達していたが、やがて対応できなくなり運送屋に頼むことになっていった。そうして1981年8月、ジャパンファインケミカル販売(現在のファンケル)がスタートした。

 池森氏は、ファンケルの原点は「不の解消だ」と言い切る。不安、不快、不便――常識の壁を破って不の解消を図ってきたのが、まさしく同社の足跡に他ならない。「不の解消を考えるとビジネスに繋がる」。それは商品であっても方法であっても同じだ。「常識を破って考えると面白いものがみえてくる」と池森氏が次に紹介したのがサプリメント。

 健康に関心を持った池森氏は、「内外美容」という身体の内と外から美容を考える言葉を考え付く。ファンケルが最初に作った健康食品が「ビューティ-サプリメント」で、これは内からの改善を目的としたもので、サプリメントという名称を健康食品市場で最初に使ったのも同社だった。

 42歳でファンケルを創業、65歳で引退して会長、名誉会長に就いた池森氏だったが、75歳で経営再建のため執行役員として復帰して代表取締役会長に就任、「この5年間でようやく業績が復活できた」と池森氏。

 最後に池森氏が強調したのは「破壊的イノベーション」ということだった。かつて常識だった化粧品無償サンプルに価格を付けて、「お試しセット」として販売したり、企画、調達、製造、物流、プロモーション、販売、在庫管理まで一貫して行う製造小売業(SPA)のビジネスモデルを国内で初めて導入したのも同社だった。「売れるわけがない」とされた当時の無添加化粧品の市場を切り拓き、無添加市場でシェアNo.1にいる同社の原動力がそれである。(終わり)


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