なぜなのか。それは山谷氏を引き立てたい勢力の意向を知事が受け入れたからだ。その勢力とは、元知事堀達也氏のグループと吉川衆議サイド。山谷氏はかつて堀氏の下で働き、堀道政の政策中枢を担ってきた。堀氏のグループは、山谷氏を引き立てることで道庁との距離を縮めたい意向を持つ。
 道議会議長の遠藤連氏は、山谷氏と早大同窓で意を通じ合っている仲。堀氏のグループは山谷氏を引き立てることで道議会にも影響力を及ぼしたいところだ。高橋知事にとって老いたとしても堀氏を無視できる状況ではない。

 一方、吉川衆議も使い甲斐のある山谷氏をメンバーにしたい。しかし座長の立場からあからさまに山谷氏を指名できない。このために意向伝達の迂回ルートとして住吉哲治・北海道空港会長の名が挙がる。住吉氏は、吉川衆議の実父で東洋実業創業者の昭市氏と親交があった。昭市氏がとりまとめ役だった鳩山一郎首相の北海道後援会「鳩山同友会」を通じたものだった。

 さることがきっかけで道内雑誌の財界さっぽろ創業者、薩一夫氏と住吉氏、それに昭市氏はより親密になり、住吉氏は昭市氏に恩義を感じるようになったという。
 
 その子息である吉川衆議にも当然恩義を感じているはずだ。そんな吉川氏の意向を反映して住吉氏は、知事サイドに山谷氏を吉川勉強会のメンバーに推したようだ。

 2つの流れは、荒川氏から山谷氏へと吉川勉強会のメンバー交代を決定づけたが、道庁の慣例から言って担当副知事がその担当から突然外れるのは異例。高橋知事は厳として筋を通すべきだったが、そうはしなかった。



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