洋菓子製造販売のきのとや(白石本店・札幌市白石区)が、2023年7月に創業40周年を迎えた。スイーツの牽引役として北海道を代表する存在に成長した同社だが、創業者で現会長の長沼昭夫氏(75)は、「私が菓子職人でなかったことが、きのとやの成長を後押しした」と振り返る。2022年10月には、きのとやを中核に北海道コンフェクトグループ(本社・札幌市中央区)を子息でCOC(同・同)代表取締役の真太郎氏(37)らと設立、北海道を代表する菓子企業を目指すミッションを掲げる。北海道コンフェクトグループの会長も兼ねる長沼明夫氏に、きのとや40年を振り返ってもらった。(写真は、インタビューに応じるきのとや長沼昭夫会長)【ながぬま・あきお】1947年10月札幌生まれ。北海道大学水産学部を卒業後に新冠町で養鶏や酪農などの畜産業に従事するが、挫折。ばんけい観光やダイエーを経て、1983年丸証の一事業として「きのとや」を創業。1985年きのとや設立、社長就任。札幌洋菓子協会会長、スイーツ王国さっぽろ推進協議会会長、北海道洋菓子協会会長、全国菓子工業組合連合会理事長など歴任。2015年きのとや会長に就任、2021年から在札幌ニュージーランド名誉領事。
ーー創業40周年を迎えました。
長沼 もう40年も経ったのかというのが、率直な思いです。創業時のことを思い出したりしますが、最初の頃はほとんど売れず、1日数万円の売り上げしかありませんでした。私はお菓子を作ることができないので、仕入れて売っていましたが、その後、若いパティシエを1人雇ってデコレーションケーキだけを作ってもらっていました。
ーー北大水産学部卒業後に夢を追いかけ、新冠町で農業を始められましたが、数年で農業を諦めてダイエーに入られた。ダイエーでは、長く勤めようとは思わなかったのですか。
長沼 サラリーマンを1回経験しておきたかったのでダイエーに入りました。新冠町から戻ってから、当時のばんけい観光でも働きました。「プレイばんけい」という焼鳥レストランがあって、私が入った頃に、「よいところ」という居酒屋も始まりました。私は、「よいところ」の店長にもなりました。いろんなことをやりましたよ。
ーーその後、始められた喫茶店が現在の起点となったわけですね。
長沼 喫茶店は16席で、私が珈琲を淹れたり、カウンターに入って働いていました。喫茶店を始めたものの、ビジネスにはならないというか、将来性という意味で、展望がなかなか開けなかった。喫茶店でケーキを食べてもらおうと考えたが、発想を逆にして、お菓子屋の中に喫茶があるというようなスタイルにしました。
ーーお菓子の方が、集客力を高められそうだと。
長沼 確たる根拠があったわけではありませんが、なんとなくそうした思いはありました。喫茶店は、場所と時間を売る商売だから、売り上げはどうしても限られてしまう。お菓子は買って帰る商品なので、ある意味、無限に可能性があると。もっとも、最初はそんなにお客さまも来てくれませんでした。
ーー1984年から始めたクリスマスケーキの宅配で人気が出ました。
長沼 お客さまが来てくれなかったので、やむを得ずケーキの宅配を始めました。来てくれないのなら、こっちから届けようと。私は、たまたま素人だったから、そういう発想になった。職人だったら、そういう発想を持たなかったでしょうね。
ーー当時から経営者になろうという思いは、あったのですか。
長沼 一介のサラリーマンでは嫌だという気持ちがあったが、別に経営者になりたいという気持ちが強かったわけではありません。大学を卒業して、先輩たちが始めていたユートピア牧場に誘われて入り、理想郷をつくるぞ、と夢みたいなことに挑戦しました。結果、その道から離れたのですが、今、半世紀を経てまたその夢を見ています。盤渓で、林間放牧を行い、循環型の農業を目指しています。当時の夢を違った形で実現しようと動いています。