札幌スイーツの代表格として知られる「きのとや」。バースディケーキの宅配でケーキ屋になるという夢に近づいた長沼昭夫社長(65)は、創業4年後に『5つの日本一』という目標を掲げた。やがて襲ってきた食中毒事故。「もうだめだ」――長沼社長は倒産間際まで追い込まれていった。長沼社長が語った誕生の裏面史の2回目。(6月4日に行われたキャリアバンクと読売新聞北海道支社の共同企画「朝活」の講演を構成。写真は、増改築工事が進む白石店とその仮店舗)

 

 創業のころ、喫茶店でスタートしたがお客が1日10時間営業しても10人来ればよい方だった。店は東札幌の南郷通に面しているから行き交う車から店内が見える。人の心理としていつも混んでいたら一度は立ち寄ってみたくなるものだが、ガラガラでは誰も振り向かない。そこで長沼昭夫社長(65)は、無料のコーヒー券を近所に大量に配ったという。「無料だから来てくれました。売上げには結びつかなかったけど、いつも店内にお客が居る状況を作ることはできましたね」
 
 サクラで人を呼び込もうとしたこともケーキの宅配が軌道に乗り始めて自然と来店客も増えて行った。
 
 きのとやが、当時から力を入れているのがデコレーションケーキ。しかも、お菓子の本に出てくるような美味しそうでゴージャスなものだ。最盛期には1年間で15万個を売ったこともある。しかし、家族の人数も少なくなり今は年間10万個ほどでピーク時よりは下がっている。代わりにアントルメという小さなケーキが多くなってきたが、それでもきのとやの柱は今でもデコレーションケーキだ。
 
 創業4年目のころには、繁盛店と呼ばれるようになっていた。そこで長沼社長は社内向けにも目標は高い方が良いと考え、5つの日本一を掲げた。仕入れ先から、『1店舗で5億円を売り上げれば日本一になれる』と聞いたことも刺激になった。
「それではと、1店舗の売上げで日本一になろうと5億円の目標を掲げました。ところが、2年後に達成してしまい10億円に上方修正。それも4年後には達成するなど、とにかくものすごい勢いで売上げは伸びて行きました」
 
 2つ目は美味しいケーキで日本一になること。美味しいケーキを作るにはいくつか方法がある。まず、原理原則を守ること。それには3つあってまず最高の材料を使うこと。それに作りたて、つまり鮮度。最後は手間をかけて手を抜かないこと。「3つともコストがかかることです。コストと効率と採算性をどう合わせていくか、これが経営というものかと実感しました」
 
 3つ目はお客の満足度で一番になること。感動を与えるには接客が大切。販売員の質を高め接客レベルの向上を図った。4つ目は利益日本一、5つ目は賃金日本一というものだ。
 
 この5つの日本一を創業4年目の26年前に作ったが、1店舗しかなかった当時は年間11億5000万円を売上げて日本一になっている。「1つ目は達成したが、2つ目から5つ目の日本一まだまだ達成できていません。常に上を目指していこうと私自身もそうだし社員にも言い聞かせています」
 
 ところで、きのとやの屋号はどこから付けたものなのか。『きのと』とは乙のことで、甲乙丙で言う2番目という意味。長沼氏の義父の出身地は、新潟胎内市中条。ここに乙寶寺(おっぽうじ)という真言宗のお寺があり、乙(きのと)寺とも呼ばれていた。その門前に乙(きのと)饅頭という酒饅頭があった。200数十年続いているという。義父の提案もあって平仮名の「きのと」に「屋」ではなく「や」を付けて屋号にした。「ある時、占い師に見てもらったら『全部平仮名したのは大変良い』と言われて気分良くしたものです。きのとは2番目という意味で、常に謙虚に上を目指すということでも良い屋号だと気に入っています」
 
 軌道に乗った事業だったが失敗もあった。16年前の食中毒事故。倒産間際まで行き、長沼氏も「もうだめだ」と思ったという。しかし何とか出直すことができ、その時、長沼氏は生ケーキだけでなく日持ちする焼き菓子の比率も高めて行こうと決めた。
 
 7年前に北大と提携してミルククッキー『札幌農学校』を作った。そのころ、北大のエルムの木が台風で倒れたこともあって長沼氏の母校でもある北大に少しでも寄付ができないかと北大に因んだお菓子を作ろうとしたのがきっかけだ。
 
「『札幌農学校』の前に『エルムの森のパイ』というお菓子を作って北大に持って行き、これで行こうとなったが、いざ量産という時に大量生産が難しかったのです。それでパイはあきらめていたところに、北大の副学長から『新渡戸稲造クッキー』はできないかと持ちかけられました。しかし、新渡戸稲造では売れないのではないかと考え『札幌農学校』に名前を変えて当社が商標権も持って販売を始めました」
 
2008年から3年連続でモンドセレクション最高金賞を受賞するなど好調で、今でも売上げの一部として北大に年間1000万円を超える寄付をしている。
「食中毒事故を起こした時は生菓子と焼き菓子の比率は8対2でしたが、現在は半々になっています」
 災い転じて福となす――皮肉にも食中毒事故が、きのとやをさらに強くしていったのだった。
                                        (以下、次回)


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