イオン北海道(本社・札幌市白石区)の新社長に2018年10月1日付で就任した青栁英樹氏(57)。GMS(大規模スーパー)やSM(食品スーパー)、デジタル領域など多くの部署を経験してきた。イオンの中でもこれほど多くの領域で仕事をしてきた人はあまりいない。曖昧さを嫌い、明確な表現を好む姿勢は、混沌とした流通業界の進路を切り拓くには最適のリーダーと言えそう。その青栁新社長に、北海道胆振東部地震の教訓やマックスバリュ北海道(同・同市中央区)との合併、地域活性化の取り組みなどについてインタビューした。
【あおやぎ・ひでき】1961年3月生まれ。83年4月信州ジャスコ(現イオン)入社、2005年3月イオン佐野新都市店長、07年4月同社マックスバリュ事業本部東北事業部長、13年3月イオンリテール執行役員北陸信越カンパニー支社長、14年3月同社執行役員店舗構造改革チームリーダー、15年4月同社デジタル推進リーダー、17年3月イオン北海道執行役員営業本部副本部長、17年5月同社取締役兼執行役員営業本部長、18年10月社長就任。
ーー北海道胆振東部地震の被害から教訓として生かせることは何でしょうか。
青栁 震災直後はグループの総力を挙げて、おにぎりなどを空輸で取り寄せ、当日から営業を始めました。最後まで復旧に時間を要した「静内店」(日高郡新ひだか町)は10月20日に営業を再開しましたが、それ以外の店舗は取引先の協力もあって早く復旧できました。
実は、私は大地震の体験が2回目です。東日本大震災の時は仙台勤務でした。異動の辞令が出ていて、3月12日に千葉に着任する予定でその日の夕方の新幹線で仙台を離れようと思っていた時に地震が発生しました。そのまま4月初めまで仙台に残り、現地対策をした経験があります。
その時は、関東、近畿、東海などから日本海ルートで仙台まで商品を運びました。しかし、今回は海を越えなければならないことが大きな違いでした。
ーー北広島市にあるRDC(リージョナル・ディストリビューション・センター=物流センター)の被害も大きかった。そこを修復しつつ本州からも商品を入れたわけですね。
青栁 北広島市のRDCには、自動倉庫が10基あって揺れの影響で荷物が崩れたりしたため起動できなかった。それを直すために鳶職の人たちに頼み、商品を入れ直したり破損したものを取り除いたりしたため、その間のセンター発注分は全部東北のセンターから入れました。復旧が進むごとに段階的に北広島に戻していきました。
各取引先から商品を入れてもらったり、センターから増車して荷物を毎日店舗に運ぶなどしたため、商品数の少なさはあったものの店頭には商品提供ができたと思います。
ーー震災によって道内の全店舗が一斉リニューアルをしたようなものだということをよく聞きしました。全店舗が通常ベースに戻るのにどのくらいかかりましたか。
青栁 肉や魚などが震災前のように入荷できるようになったのは、震災後10日から2週間目ぐらい。ただ、市場が始まってから地物野菜などは入荷できました。通常の店舗状態に戻るのに、2週間程度かかりました。震災から9日後の9月15日は『道産デー』の日でしたが、社内で大議論をした末に予定通り実施しました。
北海道を元気にしようと『がんばろう北海道』とうたって地元の商品を揃えました。あの時は当社のアプリを使ってお客さまから生産者に応援メッセージを送る取り組みも行い、400件ほどの応援メッセージをいただきました。