「森彦本店」など札幌の喫茶シーンをビビッドに創造してきたアトリエ・モリヒコ(札幌市白石区)。代表取締役兼アートディレクターの市川草介さんの全人格がモリヒコの各店舗に反映されていると言えそうな空間が最大の特長だ。コーヒー、料理とともに居るだけで落ち着ける空間価値の提供を追求してきた市川さん、その素顔に迫ろうとインタビューを試みた。縦横無尽に展開していく90分、市川さんの輪郭が見えてきたインタビューを2回に分けて掲載する。(写真は、インタビューに答えるアトリエ・モリヒコの市川草介代表取締役・アートディレクター)

 ーー10代のころから喫茶店が大好きだったそうですね。

 市川 そうですね、そのころから喫茶店に入り浸っていました(笑)。当時(30数年前)の札幌は、オーナーの個性がキラリと光る雰囲気の良い喫茶店がありました。例えば裏参道にはイラストレーターの鯨森惣七さんがオーナーの「トマトムーン」、後の「サクラムーン」、日比三佑さんの「北地蔵」、古民家を利用した「可否茶館倶楽部」など。
 なぜ喫茶店に入り浸っていたかというと、もちろんコーヒー好きということもありましたが、自分の心が満足できる空間を求めていたこともありました。将来何になるか、逡巡していた時代です。将来を空想する場として喫茶店をよく利用していました。良い空間に身を置くと、人生がポジティブに捉えられ将来の夢を考えることができました。

 喫茶店の役割というものをすごく感じて、憧れと畏れを持ちながら喫茶店オーナーたちの生き様を見つめていました。もちろんあのころはオーナーと口もきけません。僕がこの仕事をするようになってから、ようやくお会いできるようになりましたが当時は雲の上の存在でした。

 浜野安宏さんという日本を代表する商業プロデューサーがいます。東急ハンズや六本木アクシス、原宿のキャットストリートなどの設計・プロデュースをした人です。そこには様々なブランドが集まってきます。そんな浜野さんの本を10代のころに読んで、自分が将来やりたい仕事はプロデューサーではないかと漠然と思っていました。私の父はグラフィックデザイナーなので家にはこうした本がたくさんありました。

 千利休の本も熱心に読みました。読んで驚いたのは、日本には千利休というプロデューサーの先駆者がいたこと。彼が茶碗を作ったり茶室を作ったりするわけではないが、侘びの精神をどう生かすか、装置として様々なことを外部に依頼して一大美学をつくり上げました。総合芸術という言葉を千利休の本で知り、初めて自分のやりたいことがわかってきました。

 20歳を過ぎてから父と一緒にデザインプロダクションを札幌・円山で始めました。裏参道にある現在の「森彦」のすぐ近くにパン屋さんがありますが、そこがかつて父と僕がデザインオフィスを構えていた場所です。そこで約10年間続けました。



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