札幌市東区北7東2に今年6月竣工した北海道ガス新本社ビル。その真新しい本社の壁面が鏡のように映しているのが赤白カラーの煙突。この煙突は今夏から撤去作業が行われており、90mあった高さも今は60mくらいに縮んでいる。来春には消えてしまうが、実はこの煙突、札幌に青い空を取り戻したきっかけになった煙突だった。(写真は、北ガス本社隣接地で撤去工事が進む北海道熱供給公社中央エネルギーセンターの旧煙突)

 昭和30年代から40年代にかけて、札幌は急速に都市化が進み中心部にはビルが林立していった。夏は涼しくても極寒の冬には暖房が欠かせない。このためビルのボイラーや家庭のストーブなどから発生する大量の煤煙や有毒ガスによる大気汚染が深刻化していた。

 こうした大気汚染を防止するために北海道大学教授らによって地域暖房が提案され、1966年に導入計画がまとまる。ちょうどその年、札幌は72年冬季五輪開催地に決定、「冬季五輪を青空の下で」が合言葉になり、行政や金融機関などが出資して北海道熱供給公社が設立され、地域暖房設備の建設が進むことになった。

 1971年に完成したのが北7東2の中央エネルギーセンター。シンボルとなる高さ90mの煙突はその時から稼働を始めた。温水や蒸気をここで集中して発生させ、各ビルなどに供給、暖房需要を一手に引き受ける設備だ。翌年の冬季五輪開催時には大気汚染も軽減され、札幌の街には青い空が復活、五輪を陰で支える役目も果たした。その後、北海道熱供給公社は、エネルギーセンターを別のブロックにも建設、札幌の発展を支える黒子役として貢献してきた。

 中央エネルギーセンターは石炭燃料を使用していたが温室効果ガス削減のためCO2排出量の少ない天然ガス、木質系バイオマス燃料に09年から切り替えた。しかし、設備老朽化が進むとともに北海道熱供給公社の大株主になっていた北ガスの同センター敷地内への本社移転もあって老朽設備の廃止、新煙突の建設が具体化。

 そして今年6月、北ガス新本社完成とほぼ同時に同センター敷地東側に新煙突が完成、旧煙突の煙道切替工事も完了。役目を終えた旧煙突は今夏から撤去作業が進んでおり、上から徐々に解体されどんどん小さくなっている。来春には撤去工事が終了、72年の冬季五輪の前年からほぼ半世紀に亘って札幌の街並みを見続けてきた煙突が文字通り姿を消す。


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