――連綿と続けてきたことが、正に強みになっている。
若山 2019年と2020年に北海道エリアで販売されているレトルトカレーの中で当社の「函館カレー中辛」の売上額が1位になりました。私は、函館ブランドや北海道ブランドが輝くのは、東京だと思っていました。でも、札幌や函館でもすごく売れています。北海道の方たちが食べてくれることをうれしく思います。
――最近は、スーパーも地場産品を積極的に置くようになりました。
若山 地元メーカーにはとてもありがたいことです。スーパーなど北海道の企業が、北海道のメーカーの商品をきちんと評価してくれるのはうれしいですね。直近の目標は、先ほどのパンと同じで、カレースタンドなどを出店して、観光客ではなく函館市民が日常で食べに行く五島軒をもう一度復活させたい。
――今後の成長戦略は。
若山 当社は食品製造部門の利益が大きく、五島軒本店など飲食部門が厳しい状況です。この10年間、ずっとそういう利益構造になっています。この10年来の経営課題は、宴会事業から脱皮することです。私は、2019年頃に一度、宴会事業から撤退することを、当時の社長(現会長)に言ったことがありますが、社内の猛反対にあって実現しませんでした。
――宴会に頼らない経営を目指そうということですか。
若山 そうです。宴会は例えば100人を受け入れたら相当数のホールスタッフが必要になります。調理スタッフを含めると20~30人は必要でしょう。ほぼ毎日、宴会需要があれば経営的に回っていくでしょうが、回数が少なければそれだけ負担が増します。当社が宴会事業を継続していくことは、資金的に難しいのは確かです。
大切なのは、サービスや味の付加価値を高め、アッパーなお客さまを受け入れる体制を構築して、小人数の宴会需要でも売り上げを一定レベルまで確保することです。また、昭和10年に建築された五島軒本店は存在し続けるわけですから、コンサートやコスプレイベントに使うなど、さまざまな使い方を柔軟に考えていくべき時期だと思っています。
――業務提携やコラボレーションについては、どう考えていますか。
若山 当社の立ち位置では難しいですね。例えば、レストランの料理などでは当社ならではの味を創り出してきた歴史があります。先ほどのブイヨンもそうですが、デミグラスソース(肉の旨味が凝縮された褐色のソース)も3日間かけて作っています。デミグラスソースのベースは肉なのですが、野菜の水分をどんどん濃くしていく作業が必要です。以前は、出来合いのものが使われていましたが、私はそれが気に入らなかった。
老舗ブランドとしてある程度、単価を高く設定することが許されているのに、なぜ出来合いのものを使うのかと。手間をかけても良いと、いざやってみたら、とても手間がかかる。「社長、今まで1日でできたものが3日もかかります」と現場の反発を買いましたが、「でもやろうよ。観光客は北海道まで来て、海鮮丼ではなくて当社のカレーを食べに来るんだから」と説得しました。しばらくは現場とハレーションがありました。
3日間の中で1回でも焦げたら使えないので、ずっととろ火で作業を続けなければならない。現場は、確かに大変だなと思いますが、そういうところにこそ労力をかけてほしいし、かけたいと思っています。例えば、ハンバーグをこねるとか単純な工程は機械化や外注、提携先に任せてもいいかもしれませんが、五島軒の根幹にかかわる部分は独自路線を貫きたいですね。
――株式上場などは考えていますか。
若山 まずは、財務をきちんと健全化することが第一です。自己資本比率は約20%ですが、60%ぐらいまで高めたい。基本は1年ごとにきちんと内部留保が積み上がっていく体質にすることです。そこさえクリアできれば、本店が黒字化しなくても持続的経営が可能になります。
コストがかかる本店ですが、私はここが五島軒の背骨だと思っています。この建屋を生かして、大正浪漫の店をつくりたいという夢を持っています。本店の玄関を開けた時、大正時代にタイムスリップしたような店にしたい。それこそ、ディズニーランドのように、従業員が着る制服などにも、できるだけプラスチックを使わないというように、こだわりを持って世界観を統一したい。
五島軒は函館市民が、明治、大正の頃から少し気取ってカレーライスを食べていた店。その雰囲気を令和の今、復活させたい。ただ、この自分の思いがなかなか社内で共有できないのが悩みの一つです(笑)。今後も、私の思いを伝えて、共有できるように努めたいと思います。
――地域とともに生きる姿勢がよく分かりました。本日はありがとうございました。