esエンターテイメント鈴木慎也代表取締役インタビュー「すすきの村で新しいすすきのスタイルを共創したい」

経済総合

(写真は、恵愛ビル8階に設置したサウナの横に立つ鈴木慎也氏)

 ――最初のお店がうまくいった理由はどこにありますか。

 鈴木 24歳というのはちょうど良い年齢。大学を卒業した社会人は2年目で、まだ結婚もしてないし後輩もできて、会社にも慣れ、お金も余っています。でも、すすきのにご飯を食べに出ても、その次に行く場所を選ぶのに困るわけです。私の店には、ちょうど同世代の人が集まっていますから、友だちもできれば彼氏、彼女もできたりします。パフォーマンスもしていたので、ただ友だちがやっている店に行こうではなく、面白いバーがあるから行こうというノリがあって、遊びのバーの中心のようになっていきました。そのことが軌道に乗った原因だと思います。

 ーー恵愛ビル8階に移転してからも順調に発展していった。

 鈴木 結果的に年商5億円まで成長しましたが、元来、私は新しいことを創っていく方が好きなので、マネジメントや出来上がったものをより大きくしていくことは苦手。ワクワクしないし、面白くない。どうしても飽きてしまいます。飲食店のセオリーでいくと、上手くいったお店のフォーマットをコピーペーストして展開するのが常なんですが、そのことには、どうしてもワクワクしない。お金が増えていくのは分かったのですが、それよりも、何か新しいことをやりたいという気持ちが強かった。そういう気持ちを抱き続けながらも、変わらない毎日を過ごしていたので、お店は増えていき、結果、マネジメントが追いつかず業績が悪化、倒産するのではないかという曲面までいきました。

 その時、店長や料理長に運営を委託すれば良いことに気がつきました。店長や料理長は、管理しようとすると管理されたくないから怒られない仕事ばかりをするようになります。労働時間や水道光熱費について注意してほしいと頼まなければなりません。そんなことをしても、私は全然面白くない。そこで、委託することにして売り上げの何パーセントかだけをもらうように変えました。

 そうすると店長や料理長は、「分かりました。半年間休みなくやります」と言い出します。また、水道光熱費もガクッと下がる。それはそうですよね、この2%がどこに行くかといったら、自分の手元に入るわけですから。マネジメントも大事だし、人事評価制度も必要かもしれないですが、人はやはり自分ごとになった時に、初めて自分の人生に対して本気になるということがあらためて分かりました。
 この方法が正解だったようで、ホールディングス体制も整備して、チームとしてリソースを共有するように取り組んできました。うまくいくようになった結果、私はまたまた暇になってしまいました。やることがなくなってしまったのです。それが、今から2年前、コロナが始まる前でした。

 若い時は、負けたくなという競争心がありましたが、あまりお金儲けは好きではなかった。様々な経済コミュニティに入ると当然商売の話が多くて、マウントも取られる。私もまだ若かったので言い返したり、大先輩と喧嘩になったりしました。これは損だなと思って、そうした所に行くのを一切やめました。その結果、友達がいなくなって、暇になってしまったのです。
 いろいろな場所に顔を出さなくなると、今度は己と向き合う時間が増えてきて、「そもそも自分は何のためにこの商売をしているのか」と考えるようになりました。己の基準で自分を見ればいい、人と比べる必要はない、ということが分かってきたので、競争ではなく、自律したメンバー同士で何か共に創りたいというのが、私の中の大きなテーマになりました。

 クラウドファンディングで資金を集めてフレアバーテンダーの大会をしようと動いたのもこの考えからです。フレアバーテンダーは、非常にマイノリティな仕事で、大会があっても賞金が出ることがなかった。それでは、優勝者に50万円の賞金を渡せる大会をつくろうと思ったのです。私は元々、こういう大会運営が好きで、これまでもやっていたのですが、当時はまだあまり認知度が高くなかったクラウドファンディングという形で、50万円の募集を目標にしました。蓋を開けたら3倍の150万円が集まりました。その資金を元に、予選から本選まで開催しました。
 そうすると、今までライバルだと思っていた人たちからも感謝されるなど、一緒に面白いコトを創っていくことがとても刺激になりました。こうした新しいコトを創っていく「共創」が、一番面白くてワクワクするとあらためて感じました。

 それを機に当社の経営理念もつくることにしました。「飲食の感動で未来を創る」にしたのですが、倒産の危機の時、己と向き合って、「自分は何のためにやっているのか」と自問した時にこの経営理念に行き着きました。
 先ほど、事業を始めた経緯を話しましたが、なぜ24歳でバーを始めたのかというと、一言、もてたかったからです。それが原動力なんですよ。「es」というのも、本能的な欲求という意味合いがあるので、社名にしました。どうしても大人になると建前というか、己に向けた言葉ではなくて、他人を説得させたり、社会的意義を持つために言葉を使ってしまう。本質的なところは本能的なところにあるので、ワクワクしたり、面白そうだなと思うことを最初に自分が仕掛けて新しくチャレンジしていくことを肝に銘じるために社名にも取り入れました。
 私たちは、食べること、飲むことを通じた「遊び」を創っていくことを事業領域にしている会社です。他の飲食店はライバルではなく、すすきのが全体として盛り上がっていけば良いと考えるようになりました。そんな矢先に、コロナの感染拡大が始まりました。

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