コロナ禍で大きな打撃を受けている札幌・すすきのの飲食店。感染拡大は落ち着いてきているものの、歓楽街の経営者は未だ五里霧中で、ウィズコロナ、アフターコロナの解は見えていない。灯が消えた状態が続いているすすきので、「すすきの村」と呼ばれる、新しい取り組みを進めているのがesエンターテイメント(札幌市中央区)の鈴木慎也代表取締役(39)。「村民」になることで、「働ける」「学べる」「遊べる」「繋がれる」ことができる滞在型飲食店プロジェクト。コロナ禍で“すすきのスターンダード”が変容する中、新風を吹き込んでいるのが鈴木氏だ。“すすきのスタイル”はどう変わっていくのか、鈴木氏に聞いた。
(写真は、鈴木慎也氏=「フレアバーes」がある恵愛ビル屋上)
ーー飲食業を始めたのは、何歳の頃ですか。
鈴木 2006年24歳の時、消費者金融で150万円を借りて始めたのが、「フレアバーes」でした。キングムーの隣にあった「すすきのプラザビル」の2階に12坪の店を出しました。お店は、ボトルやシェーカーを空中に放り投げたり、手に乗せたりして、パフォーマンスをしながらカクテルを作る「フレアバーテンディング」から名付けました。
――24歳でこの事業を始めた経緯は?
鈴木 大学生時代には楽しいことがなかったのですが、たまたま高橋歩さんの『毎日が冒険』という本を読みました。高橋さんも、20歳でやることがなくてつまらなかった時に、たまたまトム・クルーズ主演の『カクテル』という映画を観たと。バーに憧れ、バーを出して成功するというストーリーでした。それを読んで、私も映画を観てみようと借りたところ、同じように大いに刺激を受けました。その映画でトム・クルーズが「フレアバーテンディング」を披露していたのです。格好良くて、自分もこうなりたいという思いがあったからです。
高校時代はサッカーの強豪校、白石高校でサッカー部に入っていました。札幌学院大学に進んでからは、サッカーからは離れましたが、大学生活は暇すぎて、どうしようかという感じだったのです。その時に出合ったのが『毎日が冒険』でした。この本を読んでからは、面白いことをやってみたいと思うようになって、学生たちを集めて「大学生活を面白くするサークル」を立ち上げたりしました。会費1000円でバーベキューをするとか、自宅でチョコレートフォンデュパーティーをするような取り組みです。学生たちは、基本的に暇ですから、1000円を握りしめて集まってきます。
チョコレートフォンデュパーティーに40人ぐらいが集まって、4万円が集まります。食材を買っても、お金が余るわけです。それを、次のバーベキューパーティーの時に残しておいて、良い肉を買って参加費以上の満足感を提供するようにしました。そうすると、「あそこは面白いパーティーをやっている」と人づてに広まっていくようになりました。自分も楽しんでいるのに、みんなが集まって楽しんで、お金も貯まってくることを実感しました。私は、お金を払って遊びに参加するよりも、自分で遊びを創る方が面白いと思うようになりました。そうした思いから、24歳の時にお店を出したのです。
ーー開業資金の150万円は返済できたのですか。
鈴木 150万円は半年で完済できました。消費者金融から開業資金を借りて店を始めるのは、破滅のコースになりかねないですよね(笑)。でも私は、失敗しても愛知県の自動車工場で期間従業員になれば返せると考えていました。20歳の時に一度、自動車工場の期間従業員をしたことがあったので、半年ぐらいで200万円を稼げることが分かっていましたから。お店を出すなら経験を積んで、お金を貯めてからというアドバイスもいただきましたが、私は24歳で始めるからこそ価値があると思いました。歳を重ねて始めるお店は全然別物です。お店をやりたいのではなくて、24歳の私がお店を始めるというワクワクを大事にしたかったからです。ワクワクは生ものですから。
ーーその店を起点に事業が拡大していったのですね。
鈴木 借金を返済してから、会社設立をして事業を拡大していきました。リーマンショックがあって、大手資本の飲食店が厳しい経営に直面しましたが、私たちのような中小企業や個人で経営している飲食店は、お客が離れなかったので、それほど影響を受けませんでした。それで2011年11月に現在の場所(南4条西4丁目恵愛ビル8階)に移転しました。このフロアには、もともとバブルの象徴みたいなお店が入っていましたが、リーマンショックで空きフロアになっていました。コロナほどではありませんが、当時も時代の変わり目でした。12坪から始めた店ですが、5年ほどで110坪の店になりました。