(写真は、タービンをゆっくりと回転させて健全性を確認している4号機)
既に4号機も出火箇所の修復を終え、現在は毎分2~3回転というゆっくりしたスピードで回しながら、タービンに異常がないかを検査している段階。タービンを分解しなければならないことも想定して再稼働は11月以降としている。
発電所敷地内には5~6ヵ所で液状化によって土砂が噴出した跡が残っていた。しかし、アスファルトが窪み、家屋が傾いた札幌市清田区のような激しい液状化は起こっていないという。
復旧工事には、北電社員130人や東電から派遣された6人のほか協力会社の社員も含めて日夜行われている。「1日でも早く復旧するために全職員が高いモチベーションを持ちながら対応にあたっている」と菅原氏は強調する。
ただ、発電所関連施設は工業用水を使用しているため復旧に支障はないものの、上水道は未だに断水中。飲料水はペットボトルを用意し、食事は仕出し弁当を調達するなどしているが、トイレは小便器しか使えず簡易トイレを設置して対応。職場環境は厳しい状況が続いている。
「発電所員の多くは厚真町に住んでいるため彼ら自身も被災している。自分の家を片付けられないまま発電所復旧を最優先にあたっており非常に頑張ってくれている」(菅原氏)
2号機と4号機には、タービンの軸が一定以上の振動になると、自動的に停止するシステムが付いており、地震直後にシステムが作動して停止した。しかし、1980年に運転を開始した1号機にはこのシステムがなかった。地震後も10数分間稼働していた1号機がなぜ停止したのかについて、菅原氏は「ブラックアウトの検証が公的機関で始まっているので何とも言えない」と話すにとどめた。
厚真町や札幌市などで大きな被害をもたらした大地震だったが、ブラックウアウトという全道停電を引き起こしたものの発電所の機能はそれほどの損傷を受けていない印象だった。その落差には正直、意外と感じた。国内初のブラックアウトは、ハード面の損傷というよりも、発電を一ヵ所に集中させず分散して発電するなど運用面の備えが不十分だったことが大きいのではないか。苫東厚真火力発電所では、粛々と復旧作業が続けられている。
(写真は、発電所の定期修理の際に駐車場になる敷地に残る液状化の跡=白くなっている部分)
(写真は、苫東厚真発電所の建屋。内部に右から4号機、2号機、1号機が並ぶ。3号機は廃棄されている)