(写真は、「コーチャンフォー若葉台店」の「マルシェ」コーナー)
ーー食物販の「コーチャンフォーマルシェ」の状況は。
佐藤 「マルシェ」は2018年から始めた事業で、成城石井の商品や全国各地の厳選グルメ、世界の輸入食品、北海道のこだわり食品などを扱っており、最初は「新川通り店」(札幌市北区)の1店舗でした。お客さまのニーズが多かったので、順次店舗を増やし、現在は「コーチャンフォー」全7店舗で展開しています。次の関東の店舗にも「マルシェ」が入ります。東京の「マルシェ」では、北海道のこだわりの食に力を入れており、期間限定で石屋製菓さんと組んだり、柳月さんと組んだりしています。また、「やきそば弁当」や「ソフトカツゲン」など、北海道限定商品も常設販売しており、多くの方に喜ばれています。コロナ禍で旅行に行けないため、北海道旅行の気分を味わおうと買ってくれているようです。関東の皆さんも、北海道のことが本当に好きなんだと改めて思いますし、北海道の食の素晴らしさを再認識しているところです。
ーー「マルシェ」で販売しているオリジナル商品の開発コンセプトは、どのようなものですか。
佐藤 「マルシェ」のオリジナル商品は、釧路産パプリカを利用して釧路のフレンチレストランと共同開発したドレッシングや、北見の原谷農園の抗酸化にんじんを使ったにんじんジュースなど9品目になりました。コンセプトは、北海道に徹底してこだわること。北海道の農家やレストランの料理長とレシピ開発をしてきました。コロナ禍で売り上げが落ち込んだ農家やレストラン、旅館を何とか応援できないかと思って開発を進めたのがきっかけです。北海道の方々も、地産地消への理解が進んでいますし、「若葉台店」でもオリジナル商品は、よく売れています。
ーー「マルシェ事業」の展望は。
佐藤 事業を始めて3年間で年商7億円になりました。関東2号店が軌道に乗れば10億円を目指せます。私たちは、本や文房具など、ロスのない商材を扱っていたので、食品は経験値がなく、最初は苦労しました。売れるからと発注を多くすると、賞味期限でロスが多く発生したり、逆にロスを怖がると発注が弱くなって商品が薄くなり、販売機会を失ってしまいます。そうした試行錯誤を2年、3年繰り返して、ようやく今の形になりました。関東の2号店が軌道に乗ったら、関東の農家などとコラボできれば面白いと思っています。それを北海道に持ってくることも考えたい。
ーー改めて創業のルーツを聞かせてください。
佐藤 1978年に実父の現会長が、「ミスタードーナツ」をフランチャイズ(FC)出店したのが最初です。釧路・北大通に出店したのですが、当時月間売り上げで全国1位になったこともあります。それを原点に「ミスタードーナツ」のFC店舗を拡大していきましたが、一つの事業だけではリスクがあるので、いくつかの事業を展開しようと考え、元々本が好きだということもあって本屋もやろうということになったようです。本屋は、利益率が少ないので、売り上げが取れてもそんなに儲かる仕事ではない。それで、1990年前後のレンタルブームに乗って「TSUTAYA」のFCを行い、音楽事業にも幅を広げていきました。
ーーその後、本、文具、音楽、飲食の4つの事業を核にした全国最大規模の大型複合店を出店する発想は、どこからきたのでしょうか。
佐藤 1978年から釧路中心部で展開してきて、80年代、90年代には車社会になり、中心部から郊外に消費が移っていく流れでした。それならば、郊外で駐車場を広くすれば集客力が高まると考え、大型店の展開を開始しました。最初は釧路郊外に出店して、北見、根室と道東で数店舗出店した上で、さらに大きい複合店として「コーチャンフォー」を1997年、札幌美しが丘に出店しました。それから今年で25周年になります。
ーー釧路で生まれた企業の独自性のようなものがありますか。
佐藤 コロナ禍で出張も少なくなったので、釧路にいる機会が増えましたが、釧路の市民性や温かみ、釧路発祥の「コーチャンフォー」に市民の方々がプライドを持っていただいていることなどを強く感じます。それもあって、釧路の農家やレストランなどと組んで何か開発できないかと取り組んできました。また、釧路のご当地文房具として、幣舞橋(ぬさまいばし)や丹頂鶴をイメージしたイラストの入った文房具も販売しています。高校生や大学生の中には、釧路を離れる人も多いので、自分のルーツが釧路にあることを忘れないようにと、始めたのがご当地文房具です。このように、釧路の企業であることを生かした展開を、これからもしっかりとやっていこうと思っています。
札幌に本社があった方が、ある面で店舗展開もやりやすいかもしれませんが、釧路に本社を置く企業であることを変えるつもりはありません。4年前に、釧路市民文化会館のネーミングライツを取得、「コーチャンフォー釧路文化ホール」にさせてもらいましたが、これも地域を応援したいという思いからです。