前年同月比で105%の成長を順調に続ける食品スーパーのマックスバリュ北海道(本社・札幌市中央区)。9月にダイエー7店舗、10月にはいちまるの全14店舗を承継、店舗数は三桁を窺う96店舗に増え、売上高も食品スーパーとしてはコープさっぽろ、アークスグループのラルズに次いで1000億円を超えた。札幌、苫小牧、函館、帯広・十勝の各地域でドミナント(集中出店)を形成、さらに成長を加速していく考えだ。そこで、出戸信成社長(49)に過去の厳しい経営から脱却した過程と今後の地域戦略などについて聞いた。IMG_7305(写真は、インタビューに答える出戸信成社長)

 ――7月に「沼ノ端店」、8月に「弥生店」と苫小牧市内の出店が続きましたが、苫小牧・胆振地域の戦略をどう考えていますか。
 
 出戸 新店2店舗の出店で既存店と合わせて苫小牧市内は7店舗体制になりました。苫小牧地区にエリア対応の商品部を作ったので地産地消を追求してエリア対応のモデル地域にしたい。その中で全体とエリアの役割分担をどう図っていけば良いかを研究する考えです。売上げのボリュームから言っても苫小牧地区で先行してそのモデルを作れると思っています。
 函館地区もダイエー(グルメシティ)の承継で売上げ規模が増えるので苫小牧での地区対応モデルを函館地区にも応用していけるようにしたい。もちろんいちまる店舗を承継した帯広・十勝地区も同様です。
 
 ――「沼ノ端店」と「弥生店」はモデル構築の実験店という位置付けですか。
 
 出戸 この2店ではトライ&エラーをしながらノウハウを積む考えです。この間、函館地区のマックスバリュ店舗を視察するとレタスなどをお買い得の値段で販売していたのですが、札幌から配送しているため鮮度的には近隣のものと比べるとやや違うのが目につきました。近隣から調達できるものは現地対応した方が良いと。苫小牧でどういう野菜など商品が近隣で調達できるのか、地域ごとにどう産地リレーを組み立てられるかなどを総合的に考えていく初年度と位置づけています。
 承継した函館地区のダイエー店舗は、元々ボー二ストアとホリタの合併がベースになっていて函館では長い歴史があります。我々より函館地区の産地を含めて知識とか知見があると思うのでそういう部分を活かしていきたい。
 また、10月のいちまるのSM(スーパーマーケット)承継によって帯広・十勝でのドミナントも形成されます。苫小牧、函館、帯広・十勝の3ヵ所を札幌中心のMD(販売政策)から地域中心のMDにシフトします。全国や北海道の消費トレンド、そしてエリアの消費トレンドという3つの流れを地域に合ったように今後2年間ほどかけてエリアナイズしていきます。
 
 ――苫小牧の地域一番店はコープさっぽろですが、売上げ規模では並びますね。
 
 出戸 コープさっぽろの2012年の苫小牧地区での売上げは約80億円と聞いていますが、それに近くなることは確かだと思う。
 
 ――主力の札幌地区での顧客対応はどう考えていますか。
 
 出戸 札幌市内も試行錯誤している段階です。札幌の郊外と地下鉄駅前の店では客層が違うので売れるものも違います。売れ筋や量目も異なりますから、客層にあった店づくりの完成度をより高めていきたい。
 消費のトレンドはどんどん変わってきています。調理済みの商品やひと手間かけるだけで食べられる簡便な商品など、以前ならあまり売れなかった商品も良く売れています。冷凍食品の伸びは20年前と比べたらボリュームが全然違う。そういうトレンドに合致した商品をきちっと売れる売場づくりをしなければなりません。改装して冷凍ケースなどを入れ替えないと今の時代にあった商品構成になっていかないのですが、なかなか改装が追いつきません。改装は一巡していますが、一巡している間にまた時代が変わり始めていますから。
 
 ――既存店舗の改装は一巡したということですが、ミニ改装を含めてどれくらいの期間をかけたのですか。
 
 出戸 山尾啓一前社長のころから既存店改装を始めたので約5年かけました。丁度リーマンショックの後で当時は非常に経営が厳しい時でした。08年4月にジョイと合併したのですが相乗効果が出ず、売上げをかなり落としていた。そんな中で、もう一度お客さまの方を向かなければということで改装を手掛けていきましたが、あまり効果がでませんでした。年間計画を立てても1ヵ月で改装効果が途切れてしまう。後は大幅な下振れという状況でした。
 
 ――当時、改装がうまくいかなかったのは何が原因だったのですか。
 
 出戸 売上げが低迷して既存店の前年割れが始まったのが2003年。それから長い低迷が続き、成功事例がなかったのでトンネルから脱するきっかけがなかなか掴めなかった。既存店が前年を超えたのは2012年ですから実に10年かかりました。
 
 ――2009年はリーマンショックの後で消費も低迷していました。どのスーパーも苦しんでいましたね。
 
 出戸 当時は当社の一人負けと言っても良い状況。社内が後ろ向きで、『なんでこうなってしまったんだろう』という空気が漂っていましたね。そのころ、取締役は全員、毎年降格です。私も常務から取締役に降格。低迷が続いていたら翌年はおそらく取締役からも外れていたでしょう。
 
 ――社内のモチベーションの問題もあったということでしょうか。改装しても結果としては売れなかった訳ですね。
 
 出戸 負のスパイラルです。改装しても目標に届かない。何店舗改装しても同じ結果。「こんなことではダメだ」と、イオンから様々なサポートをいただき、そのときにSM(スーパーマーケット)の担当役員から「ザ・ビッグをやってみてはどうか」と提案があったのです。『ザ・ビッグ』はマックスバリュ西日本が開発したDS(ディスカウント)業態ですが、当社に導入してもうまくいくかどうかわかりません。
 マックスバリュ西日本に勉強に行ったプロジェクトチームの部隊が2010年2月に『平岸店』(札幌市豊平区)を『ザ・ビッグエクスプレス』に転換したのですが、そのころが一番辛かったですね。平岸店はジョイの店舗で、ポイントを中止したり売価が変わったりして売上げが大きく落ちていた店でした。
『ザ・ビッグ』の1号店が失敗したら後がない決意で転換しました。そうしたら売上げがかなり上がった。「ここまで支持を受けられるんだ」と社内でインパクトが走りました。なにせ平岸店の売上げは2倍を超えたのですから。
 
 ――『ザ・ビッグ』は低迷していた会社に刺激を与えたのですね。
 
 出戸 電気ショックみたいなものでした。でも嬉しかったですね。そのとき私は経営企画の担当だったのですが、久しぶりにお客さまに喜んでもらえている興奮で、オープン日には一日中、売り場でじゃがいもやピーマンの補充をしました。お客さまに喜んで買ってもらえるのが本当に嬉しかった。売上げが上がって会社の中で何かが変わりました。大きな赤字を作っていた平岸店が単年度で黒字に転換したのです。何をやってもうまくいかない、先行モデルが一つもないという中で、それがようやくできたのです。

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