北海道銀行 堰八義博前会長インタビュー「波乱の金融危機をこう乗り越えた」

金融

 ーーリーマンショックの時に、道銀は影響が少なかった。

 堰八 私どもは金融危機の時に瀕死の重傷を負った銀行なので、野放図な融資をしないこと、体力以上のマーケット投資をしないことが染みついていたからです。いち早くリスク管理ルールを設定、減損処理をして切るものは切っていたので傷が浅くて済みました。大量の外債をリーマン前に損切りして何十億円かの売却損を、涙をのんで立てていましたから。

 ーー入行以来、銀行員として大切にしてきたは何ですか。

 堰八 取引先によって態度を変えないことです。取引がたくさんあるからとか、少ないからといって態度を変えるようなことは絶対しないと決めていました。数ある銀行の中から、当行を選んでくれたことに、感謝しなければならないと思っているし、そのことを言い続けてきました。
 入行後に苫小牧の支店に赴任して外回りのお得意さま係になったことがきっかけです。かばんを持って、お客さまを回っていた時に、あるサラリーマン家庭を担当しました。そこのご主人が、「いつも来てくれるけど、預金はそんなにできないよ」と言うので、私は「ボーナス時期にお願いします」と返答していました。そして、ボーナスの日になってそのご主人が10万円を定期預金してくれたのです。初めて私が獲得した定期預金でした。私のことを信用してくれて預けてくれたのが、とてもうれしかった。それ以来、金額の多寡で取引先を差別しないことを肝に銘じるようになりました。

 ーー銀行員としての原体験ですね。

 堰八 今でも苫小牧に行くと、そのことを思い出しますよ。まだ、当時伺っていた社宅は残っていて、お名前も覚えています。

 ーー行内の役職員に伝えたいことは何でしょうか。

 堰八 先ほどお話ししたように、当行は取引先を中心に優先株を発行したからこそ生き残ったと言っても過言ではありません。破綻した可能性もゼロではなかった。このことを経験した職員は年々減少していきますから、この事実を当行の歴史に刻み、後世にしっかりと語り継いでほしいと思います。
 また、今後は人口減少のトレンドがますます鮮明になり、他業態を含めた決済機能や送金システムの多様化も一段と進んでくるので、銀行自身のDX(デジタルトランスフォーメーション)をさらに進め、質の高いサービスの提供と経営の効率化を両立させてほしいと思います

 ーー道銀の行風に変化はありますか。

 堰八 私は、道銀が設立されて30年も経っていなかった79年に入行しました。その頃、すごく伸びていた銀行で、拓銀に追い付け、追い越せというように次男坊的なやんちゃなこともする活動的な銀行でした。しかし、バブル崩壊で銀行は潰れる可能性があると認識が大きく変わりました。当行も厳しい時代を経験しましたが、変わらないのはバンカラな行風です。初代頭取の島本融氏の教えである形式にとらわれない“島本イズム”が、脈々と引き継がれています。自由闊達に議論する自学の努力集団ーーこれがあったからこそ危機も乗り越えられたと思う。北陸銀行と経営統合をしても道銀は一本で来ていますから、これは強みだと思う。

 ーーコロナ禍の北海道経済の展望について、どう考えますか。

 堰八 コロナ禍によって多くの企業が減収に見舞われましたが、それぞれの企業がその内容をしっかり分析して次の手を考えることが重要です。そのポイントは3つの需要の分析です。3つとは、コロナ禍により「失われた需要」、「繰り越された需要」、「掘り起こされた需要」です。深刻なのは、「失われた需要」です。例えば、外食、宿泊、運輸、イベント、映画、ライブ、演劇などの需要です。これらは、中止や延期により商機を逸してしまったので、取り戻すことができません。諦めるしかない。
「繰り越された需要」は、例えば、住宅のリフォーム、旧式の機械の更新などですが、これはコロナ禍が収束すれば復活するので、タイミングを逸することなく、いち早く受注する準備を怠らないことです。一方、コロナ禍により「掘り起こされた需要」もあります。この「掘り起こされた需要」を分析して、「失われた需要」を早めに取り戻すためのヒントをつかむことが、今後の北海道経済の回復や発展に重要であると考えています。

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