――“食育”の大切さが叫ばれていますが言葉を換えれば“職育”も必要なことですね。
齋藤 調べると北海道の信金は、地場経済という実物経済の中から生まれてきています。問屋や倉庫業などに従事する人たちが開拓を進めていく中で、金融が必要になっていく。しかし地場に金融機関がない、銀行を作るのは大変だから皆でお金を出し合って、信用金庫、当時は市街地信用組合と言いますが、それを作って相互融通を始めていこうというのが発端なのです。
歴史的に見ると地場経済に根ざし、地場経済の中から生まれてきたのが信金。それが、いつしか自律的な経営体として信金と実物経済の2極が並立する形になっていった。それは歴史の流れなので仕方がないにしても、“魂”は地場経済の中に置いておかなければいけない。
――信金には戦時統合がなかったのでしょうか。
齋藤 戦時統合はありませんでした。そういう意味では、草の根から生まれて草の根の中でずっと育ってきたはずなのに、いつしか金融業界という括りができてくると、金融業としてアイデンティティーを確立していくようになりました。
ドイツやイギリスでは、実物経済の中から金融業が生まれてきました。お金を扱うことが得意な人たちが貨幣取扱商になって、やがて銀行になっていくという発展形態です。つまり実物経済から派生して金融業が誕生しました。しかし、日本は明治維新でいきなり『銀行制度』を外から持ってきた。銀行は生まれながらにして銀行だった訳です。
そういう出自を考えると、本来的に信金は、ドイツやイギリスのように実物経済から派生した地場の魂を持って生まれています。もう一度そこに戻れとは言わないけれども、出自を思い返して欲しいという気持ちはありますね。
――大地みらい信金は、昨年が100年周年でしたが、若手職員が100年誌をまとめているそうです。遠藤修一理事長は、『100年の歴史を若手職員が体感し、それが信金の財産になる』と話していました。
斉藤 人間と同じで各々の信金は、自らの出自を知ることがとても大事です。出自を知ることによって何をなすべきかが見えてきます。信金は、今はまさにそういう時代に置かれているのかもしれません。(終わり)