オフシーズンとはいえ、温泉街には人影が見えなかった。街を走る道の両側には、朽ちたホテルが目に付き、寂寥感を一層際立たせる。北海道の中で、輝きを失ってしまった温泉街の一つ、川湯温泉。その川湯温泉の再生に向けた動きが始まる。(写真、川湯温泉街まちづくり再生事業の報告会。左から街制作室・国分裕正代表取締役、星野リゾート・星野佳路代表、弟子屈町・徳永哲雄町長、環境省釧路自然環境事務所・川越久史所長、オンサイト計画設計事務所・長谷川浩己代表取締役)

 4月7日、川上郡弟子屈町川湯温泉の「川湯ふるさと館」には、星野リゾートの星野佳路代表、弟子屈町の徳永哲雄町長、環境省釧路自然環境事務所の川越久史所長の姿があった。「阿寒摩周国立公園弟子屈町川湯温泉街まちづくり再生事業」の概要説明がここで行われた。
 川湯温泉は、かつて年間50万人を超える観光客が訪れていた。硫黄山や屈斜路湖に近く、黄色い蒸気がところどころに立ちのぼる硫黄山で、名物のゆで卵を作った記憶がある道産子も多いだろう。1991年には56万人と過去最高の宿泊客を記録したが、以降は徐々に入り込み数が減り、最近はコロナ禍も重なって10万人にも満たない状況になっている。

 客数減少に追い打ちを掛けているのが、廃業したホテルや旅館が廃屋のまま放置されていること。一軒や二軒ではすまないほどの廃ホテルが道路の両側に佇む姿は、旅の高揚感を萎えさせ、さらに観光客が遠ざかるという悪循環を招いてしまっている。

 これまでも、こうした閉塞状況を打ち破ろうと、町や地元住民は、あの手この手で再生を試してきた。しかし、どれも長続きせず一過性で終わってしまった。川湯温泉に近い場所に生まれ、酪農業を営み、摩周農協(合併により現在は摩周湖農協)組合長も務めた現町長の徳永氏は、「最盛期には、げたばきで浴衣姿のお客が温泉街を肩をぶつけるようにして歩いていた時代もあった。そういう時期も去り、廃ホテルが増えていき、このまま温泉街がだめになってしまうのではないかと強い危機感を抱いた。しかし何をしてもうまくいかず、諦めの気持ちも一部にはあった」と正直に打ち明ける。

 そうした中でも、住民たちによる地道な活動は続いていた。地域住民が40年以上にわたって、つつじヶ原の散策路整備を続け、温泉街を流れる温泉の川「湯の川」の清掃も地元の若者たちが続けてきた。ゲストハウスの新規開設や硫黄山のガイド付きトレッキングツアーも始まっている。このトレッキングツアーの実施主体である、てしかがえこまち推進協議会と一般社団法人摩周湖観光協会は、2023年第18回エコツーリズム大賞(環境省が実施)を受賞するなど、明るい話題も出ている。「これまでにまいてきた種が、ようやく芽をつけ、開きつつある」(徳永町長)中で、大きな力になるのが今回の再生事業だ。

 この事業の発端は、2016年度から始まった、環境省の国立公園の保護と利用を推進する「国立公園満喫プロジェクト」にある。阿寒摩周国立公園は、北海道から唯一そのプロジェクトの対象地域に選定された。その一環として2018年度から始まったのが、川湯温泉街の再生だった。手始めに、温泉街の景観を良くするために閉鎖された「華の湯」と「川湯プリンスホテル」の2棟と従業員寮2棟を含めた廃屋の解体工事を行ってきた。

 廃屋撤去について、弟子屈町が対象物件の土地建物を取得、環境省が町からそれら不動産の寄付を受けて解体工事を行うものだった。アスベスト処理などに費用がかさみ、解体費用は約20億円だったという。
「地方自治体と国が役割分担をして、廃屋の撤去を行うのは全国でもここだけで、弟子屈モデルとも言えるもの」と環境省釧路自然環境事務所の川越所長は言う。こうして出現した更地をどう活用するか、町と環境省はサウンディング調査を実施。その過程で、参加企業から進出の課題として、解体後のホテル敷地の活用だけでなく、周辺を含めた温泉街全体の底上げが必要との意見が出てきた。

 その意向を受け、町と環境省は、さらに近隣のホテルなどを取得して解体する取り組みを進める一方、関係機関、団体で組織した「弟子屈町阿寒摩周国立公園川湯地域整備検討協議会」の意見を基に、町が温泉街を再生するためのマスタープランを策定することにした。

(写真は、弟子屈町による解体がこれから予定されている旧「川湯グランドホテル」)

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