サツドラホールディングス(本社・札幌市東区)の創業者で特別顧問だった故富山睦浩氏の「お別れの会」が2026年6月30日、札幌市中央区の札幌パークホテル3階パークホールで行われた。札幌をはじめ全国各地のほか、台湾などから約1000人が出席、故人を偲び、最後の別れを惜しんだ。
(写真は、「お別れの会」で謝辞を述べるサツドラHD・富山浩樹社長CEOと睦浩氏の夫人でサツドラHD・相談役Founderの光恵氏)
お別れの会では、僧侶による読経の後、最初に旭イノベックス(本社・札幌市清田区)の星野恭亮会長が遺影の前に立ち、1980年にJCで知り合ってから続いた46年間を振り返り、「富さんは沖縄が好きで、那覇の花火を一緒に見た思い出が心に残っている」と弔辞を読んだ。続いて北海道銀行(本店・札幌市中央区)の堰八義博特別顧問は、「サツドラグループは、新時代のさらなる飛躍を見据え大きな舵取りを決断された。目まぐるしく変わる時代に惑わされることなく、今一度創業の原点に立ち返り、中長期視点から地域社会のインフラとしての価値を高めていこうとする果敢な決断は、富山睦浩さんが光恵夫人と共に示し続けてこられた、時代の変化を恐れない挑戦のDNAそのものと感じる。北海道銀行は、新たな挑戦の時を迎えたサツドラグループを、これからも最も良き伴走者として全力でお支えすることを誓います」と遺影に話しかけた。
(写真は、弔辞を読む道銀・堰八義博特別顧問)
サツドラグループの協力会社でつくる「はとの会」元会長であらた(本社・東京都江東区)の得能健次元顧問は、「富山さんは、サツドラ店舗への訪問を大事にされた。最近は足腰の不調もあったが、カートを使って店の端から端まで見て回り、店の社員と楽しそうに話をされ、社員の方々とうれしそうにされていたのを思い出す」と別れを惜しんだ。
(写真は、弔辞を読むサツドラHD・高田裕取締役CHO)
社員代表としてサツドラHDの高田裕取締役CHO(最高人事責任者)は、「仕事には誰よりも厳しい生粋の商売人だった。私は社員の中でも特に多く叱られ、考えが足りなければ厳しい言葉が飛んできた。しかし、厳しさの奥には社員への深い優しさがあった。地方店舗巡回の途中で、富山特別顧問は土地の名産になっているソフトクリームを食べるのが好きだったが、途中まで食べたものを、『お前も食べてみろ』と差し出されることがよくあった。戸惑いながらも断り切れずありがたくいただいたが、正直、厳しいところがあった」と話し、「厳しい経営者だったが、少年のような茶目っ気とユーモアを持っていた」と振り返った。
謝辞に立ったサツドラHDの富山浩樹社長CEOは、「社葬だが父と呼ばせてください」と前置きした上で、「父は、2年前に大病を患い、生死の境をさまよい、家族も覚悟をしたが、それから完全復活した。その後は、前にもまして世界中を飛び回ってさまざまな体験をしてきた。スペインのサンセバスチャンにどうしても行きたいと楽しみにしていたが、医者からやめた方がいいと言われ、4月18日は自宅で静かにしていた。夕方、血圧が下がり過ぎていることが分かったが、父は自分で体温を図り、『36・8℃あるから大丈夫だ』と言った矢先に、体温計を床に落として、テーブルにうつぶせになるようにスーッとそのまま亡くなった。苦しむこともなく自宅で母と食事をしながら、電池が切れたように亡くなった。直前まで飛び回って、実に父らしい死に方だった」と参列者に報告した。
(写真は、メモリアル展示された創業時の15坪の店舗と当時の故人の等身大パネル)
続けて、「即断即決で即行動の父だった。周りもそれに巻き込まれながらも必死についていく。そういう形で事業を伸ばしてきたと思う。喜怒哀楽がはっきりしていて、家族や社員は、時にそれに困惑することもあったと思うが、ドラッグストア業界の荒波の中で仲間たちと一緒にここまで来ることができた。父の座右の銘は、相田みつをの『一生青春、一生勉強』で、最後まで現役で走り続けた父にふさわしい座右の銘だった。サツドラのウェイ(行動指針)に『挑戦から学び続ける』がある。父の座右の銘を思い浮かべながら制定したものだが、父から受け継いだサツドラのDNA」と続けた。
さらに、「2014年に東証に上場する意思決定の際に、家族会議をして父から『本当に(上場を)やるか』と聞かれた。私は当時、イチ役員だったが、父から『覚悟がなければ他の道もあるぞ』と念押しされた。私は『やらせてほしい、やらせてください』と話して、その道を突き進んだ。しかし、時代が変わり、非上場でもう一度チャレンジしたいと1年くらい前から考え、実行に移してきた。父に相談したところ、『お前の好きなようにやれ』と。『任せた、それでサツドラの看板が残るんだな』と。私は『もちろんです、そのためにやります。これから末永くサツドラを成長させるためにやります』と、再度決意を述べた。その先を、父に見せられなかったのは残念だが、亡くなる1週間前にもそのような話をして、それが最後になった」と述べた。
「サツドラが、ここまで成長することができたのは、父が築いてき皆さまとの繋がりがあったから。それが一番のサツドラの財産だと思っている。サツドラのDNAと皆さまとの繋がりを基に、父の意を継いで、現場の社員全員と共にサツドラをさらに成長させていきたい」と締めくくった。
(写真は、献花をする参列者)
献花は、故人が好きだったシャルル・アズナヴールのシャンソンをBGMにして行われ、一人ひとりが遺影を見上げながら手を合わせた。また、別室には、創業期の15坪の実物大店舗が設けられ、当時の故人の等身大(身長153㎝)パネルやこれまでの歩みも紹介された。


































