JR北海道坂本眞一相談役の「お別れの会」に2900人、胸の想い押しとどめる痩身の野島社長

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IMG_1175IMG_1217 JR北海道の主催で1月15日に死去した坂本眞一相談役(元社長)の「お別れの会」が4日、ロイトン札幌で行われた。約1万本の菊で埋め尽くされた祭壇に掲げられた遺影に向かって献花、手を合わせる道内外からの参列者は約2900人に及んだ。整然と行われた会だったが故中島尚俊社長の自死から2年半、2度目となる「お別れの会」は異常事態だ。葬儀委員長の役割を担った野島誠社長は何かに耐えているような表情だった。(写真左は坂本眞一相談役の遺影に向かって献花する会葬者、写真右は会の終了後に囲み取材に応じる野島誠社長)
 
 菊や胡蝶蘭、カーネーションの白い生花で埋められた祭壇の中央に微笑みかけるような坂本相談役の遺影。別室には、同氏が国鉄大阪鉄道管理局施設部長だった1983年ころからの足跡を辿るパネル写真が約70枚展示され、同氏が描いた十勝岳連峰と欧州の古い街並みの絵画2点とともに在りし日の坂本氏を映したDVDも流された。
 
 高橋はるみ知事や上田文雄札幌市長、高向巖北海道商工会議所連合会会頭など道内政財界のほか、野中広務元自民党幹事長、松田昌士元JR東日本社長など道外の要人らを含め約2900人が故人を偲んだ。
 
 整然と予定調和で進行する会は、2年半前の10月に行われた故中島社長の「お別れの会」と二重写しに見えた。わずかな期間にJR北海道のトップ2人が自ら命を絶った事態の深刻さが、こうした会を開くたびに希薄化されてしまうのはある意味で仕方のないことだろう。しかし、中島氏もそうであったように坂本氏の自死もJR北海道の組織や経営問題が根っこにある。JR関係者やもちろん親族にはつらいことだが、死を直視することによってしか組織人たちが自ら変わり、新しい風土を創ることにチャレンジしていく情動は生まれてこないのではないか。
 
 野島社長は会の終了後にこう述べた。「多くの方に献花をいただき坂本相談役が多方面で活躍されていたことを改めて認識し悲しみがこみ上げてきた。北海道新幹線開業を心待ちにしていた坂本相談役だったが、あと2年という時に大変残念。まず安全な鉄道にして新幹線を計画通り無事開通させることを遺影に向かって心の中で考えた」
 
 痩身の野島氏は胸にある想いを押しとどめ何かに耐えているように話した。坂本氏の死を直視していることが伝わってくる場面だった。

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