旭川と稚内間の高規格道路ネットワークのうち、音威子府村と中川町を結ぶ自動車専用道路「音中(おとなか)道路」(約19㎞)が、2026年3月22日16時に開通した。それに先立ち、同日11時から中川町生涯学習センター「ちゃいむ」で開通式が開催された。周辺自治体首長などのほか、北海道選出国会議員や道議会関係者など約250人が出席した。
(写真は、「音中道路」開通式)
(写真は、「音中道路」の通り初め)
最初に、主催者を代表して「一般国道40号名寄・稚内間整備促進期成会」会長の工藤広稚内市長が登壇。工藤氏は、「1993年の事業化以来、30年以上の歳月を経て開通を迎えた。先人の努力に、深い敬意と感謝の念に堪えない。ただ、北海道縦貫自動車道の整備という観点からいえば、ゴールではない。『音中道路』に続く区間として新規採択を進めている『中川~天塩間』、未着手区間の『豊富北~稚内間』、『美深北~音威子府間』の整備によって日本のてっぺん、稚内まで一本の高規格道路で結ばれることが、国土強靭化と高市内閣が掲げる強い経済の実現に大きく寄与すると訴え、今後とも一丸となって取り組む」と挨拶した。
続いて、国土交通省の富山英範大臣官房審議官が、「19㎞の区間の中でも、全長4・7㎞の『音中トンネル』は、強大な地圧のもとで、脆弱な地盤を掘り進むというトンネル史上、稀にみる難工事だった。対策を研究して工事を進めたが、平成29年、岩盤崩落事故があって作業員1人が亡くなった。開通に際して、謹んで哀悼の意を表したい。その後、再発防止、安全対策の強化で約10年を擁して『音中トンネル』が開通し、本日の開通に至った」と述べた。
来賓の国会議員として、最初に鈴木宗男参議院議員が登壇。鈴木氏は、「この道路は、昭和62年の四全総(全国第4次国土整備計画)に採択されたことがスタート。平成5年4月に着工路線になったが、当時、地元で頑張ったのが今津寛元衆議だった。それから数ヵ月後に細川政権が誕生して自民党は下野した。もし、タイミング遅かったら、さらに遅れていたかもしれない」と経緯を話した上で、「『音中道路』の開通を機に、さらに(稚内)延伸に向かって頑張ることを誓ってお祝いの言葉にしたい」と話した。
東国幹衆議、舟橋利実参議に続いて名寄市風連町出身の東野秀樹参議(JA道北なよろ会長)が登壇、「私は、国道40号を稚内に向けてトラックでよく走った経験があるが、4tトラックだと夏場でも轍で滑って怖い思いをしたことがある。『音中道路』開通は、利便性と安全性で大きな効果がある。今後も未区間の開通に向け皆さんと共に汗をかき、北海道の中でも注目されている北北海道の可能性を引き出していきたい」と語った。
最後に、地域の紹介を兼ねて、中川町の石垣寿聰町長と音威子府村の遠藤貴幸村長が挨拶。石垣町長は、「『音中道路』は、地域にとって移動のための道路ではない。救急搬送の時間短縮や物流の安定、観光周遊の向上など、暮らしと産業を支える命の道、未来を拓く道だ。道路が繋がることで、道北の魅力がより発信され、地域の活力が高まると確信している』と話した。
遠藤村長は、「私は中川町の出身で、少年時代から国道40号を通ってきた一住民として、この道路の不安定性が肌身にしみている。大雨の通行規制、天塩川の増水による冠水、冬の斜面崩壊は、地域住民の生活を脅かす壁だった。私は元消防職員だったが、『音中道路』開通による救急搬送の安全確保は最大の安心材料になり、物流面でも道北の基幹産業、農林水産物輸送が、災害時でも途絶えることなく可能になる。この道が、人と人、地域の宝を結ぶ懸け橋となり、道北一帯が、大きな家族として発展していくことを願っている」とアピールした。開通式では、最後に関係者による挟み入れとくす玉割が行われた。
12時40分からは「音中道路」の中川IC(インターチェンジ)本線上で、通り初めが行われ、パトカーに先導されて救急車や牛乳搬送車などが、音威子府ICに向けて走った。
音威子府村から中川町にかけて並走する国道40号はカーブが多く、雪崩による通行止めも発生しているが、「音中道路」の開通によって、これらの課題が解消されるほか、所要時間は10分ほど短縮される。また、「音中道路」は、北海道大学の中川研究林付近を走るため、自然環境への配慮としてトンネル状のグリーンブリッジが設けられ、森が分断しないようにしているほか、道路下の数ヵ所も動物が通れるようにしている。最大の難所となった音中トンネルは、崩落があった蛇紋岩区間457mには、掘削断面積面181㎡という史上最大規模の真円三重支保断面のトンネル構造を採用している。



































