道南ラルズ今野伸社長インタビュー「人口減少、競争激化でも選ばれる食品スーパーを追求する」

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 アークス(本社・札幌市中央区)の子会社、道南ラルズ(同・北斗市)の新社長に今野伸氏が就任して半年が過ぎた。9月の「スーパーアークス千代台店」の開店など、就任早々の大仕事も一段落したとはいえ、年末商戦に入り、気の抜けない毎日が続く。函館など道南地区では、人口減少が進み、食品ス―パーも厳しい経営環境に置かれている。細る市場にどう向き合うのか、今野社長に聞いた。〈こんの・しん〉1962年9月、横浜市生まれ。1999年3月ラルズ入社、2003年12月道南ラルズ出向、2008年5月取締役店舗運営部ゼネラルマネジャー、2013年5月常務、2017年5月専務、2022年5月社長就任。42歳の時に、5歳先輩の土手光三前社長(現エルディ専務)と道南ラルズに赴任、土手前社長の元で事業を進めてきた。「土手社長の下で働いた経験が糧になっている」と言う。

 ーー経歴を教えてください。

 今野 1962年9月生まれ、現在60歳です。出身は横浜市で、1987年3月に北海道大学水産学部を卒業後、食品開発に携わりたかったので東京の食品会社に就職しました。10年ほど勤務した頃、食品を作ることよりも、売ることをしてみたいと思うようになったことと、もう一度、自然が多い北海道で暮らしてみたいと思うようになったので、学生時代を過ごした北海道に戻り、1999年3月ラルズに中途で採用をしていただきました。

 ーーアークスの横山清社長(道南ラルズ会長)も北大水産学部卒ですね。

 今野 就職活動のOB訪問で、当時大丸スーパーの社長だった横山さんにお会いしたことがありました。まさか、横山社長と一緒に仕事をするようになるとは夢にも思いませんでした。

 ーーラルズ入社から4年後には、道南ラルズに出向されました。

 今野 入社当時、ラルズは「ビッグハウス」を大量出店していた時期で人手不足だったこともあり、食品スーパーの素人でしたが、猫宮ゼネラルマネジャー(現ラルズ社長)の元で「ビッグハウスウエスト」(札幌市西区)の店長も経験させていただきました。2003年に、アークスが函館の「ユニークショップつしま」の事業を譲り受けることになりました。食品スーパーの業務をもっと学びたいと思ったので、函館での勤務を希望しました。北大時代に函館に住んだことがあったのも、希望をした理由でした。

 ーーそれで2003年12月に函館に赴任されたわけですね。

 今野 当時の「ユニークショップつしま」は業績不振で、譲受前にはリストラも行われ、賞与も出なく従業員のモチベーションも下がっておりました。譲り受けた当初はアークス子会社の北海道流通企画が運営していましたが、翌年3月1日に道南ラルズに商号変更して本格的に営業を開始しました。
 函館は歴史がある街なので、道南ラルズがスタートした当時は、市民の方々になかなか認知していただけませんでした。当時言われていたのは、日曜日の朝に駐車場が満車になるのは、美原のイトーヨーカドーさんが最初で、次が昭和タウンプラザのホクレンショップさん。その2ヵ所が満車になって、ようやく美原のアドマーニ(現ビックハウス アドマーニ)に車が集まるようになるーーと。

 ーー函館市民の方に認知してもらうまでに時間がかかったと。

 今野 ラルズを認知してもらおうと、アドマーニ美原店で日曜日の朝に「朝市」を始めました。函館といえば「朝市」が有名ですから、店舗の敷地にテントを張って野菜や魚を特価で売り始めたのです。それを続けていくうちに、「ラルズは安くて良いものを売る」ということが、少しずつ浸透していきました。

 アドマーニ美原店を2004年12月に「ビッグハウス」に改装したことで、「ラルズのビッグハウス」が函館で認知されていきました。そこから会社の業績も上がるようになりました。従業員も今までは競合店に負けてばかりでしたが、「やればできるんだ」と私たちを信頼してくれるようになりました。

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