(写真は、一般財団法人田中記念劇場財団の笠島麻衣事務局長)

 ーー道内の札幌以外の地域での演劇活動はどのような状況でしょうか。

 平田 北海道では、札幌のような200万都市でなければ、演劇を展開するのはなかなか難しいのではないでしょうか。富良野市は倉本聰さんの存在で特殊な展開をしています。行政が劇場をつくって、その運営を元塾生たちを含めたNPO法人に任せています。そうした財政的な裏付けがなければ、他の自治体ではなかなか厳しい。

 笠島 旧朝日町(現士別市)にはサンライズホールがありますが、納谷さんがそこで演劇を公演する事業を手掛けています。町の人たちと一緒になって演劇をつくっています。

 平田 笠島さんが言うように、コミュニティのツールとしての演劇が注目されています。旧朝日町は人口約1300人の小さな町ですが、そこでは周辺市町村の住民や学校教諭、生徒たちが演劇公演をしています。コミュニティのツールとしての演劇活動は、道内でも随分と広がってきました。

 ーー「北八劇場」はどこが運営するのでしょうか。

 田中 一般財団法人田中記念劇場財団(略称TMTF=タナカ・メモリアル・シアター・ファウンデーション)が運営します。付属の劇団を持たないので、基本的には劇場の使用料が収入になります。ネーミングライツの募集やパートナー(法人)、サポーター(個人)を募集、行政からの支援もいただけるように努力して、事業費に反映させていきたい。自分たちでは劇団を持たないですが、連携した劇団に対して一定の支援ができるような形で、創造をバックアップしていきたい。

 ーーそれにしても理事長は、感慨深いものがあるのではないですか。

 笠島 田中理事長のルーツを調べていくとさまざまなことが繋がりました。理事長の高祖父(母方の祖母の祖父)は元彰義隊隊士で、上野の山で敗れた後、榎本武揚が率いた開陽丸で北海道に渡り、箱館戦争を戦いました。五稜郭陥落後、榎本は新政府に旧幕府軍であったにもかかわらず頭脳明晰ということで重用されますが、高祖父はその榎本の世話で、開拓使に仕官するようになりました。
 その後、榎本が払い下げを受けた小樽の広大な土地を管理する北辰社を任されて、小樽の街の賑わいづくりにも尽力しました。明治26年には、その一環として「稲穂座」という劇場もつくり、文化振興に一役買ったことが分かりました。130年の時を超えて「北八劇場」が生まれるのは、偶然ではないような気もします。

 阿部 利益を重視する姿勢なら、今回の「北八劇場」はできていなかったと思います。田中理事長は大変大きな決断をしたと思います。市街地再開発の目的は、街づくりということもありますが、民間が行う再開発ですから事業性というものがどうして避けられない。それを乗り越えながら劇場をつくるのは、口で言うほど簡単なことではありません。

 ーー「北八劇場」が札幌の演劇界だけでなく札幌、北海道の文化芸術の発信拠点になることを期待したいと思います。本日は、どうもありがとうございました。



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