JR札幌駅から地下通路で直結する複合型再開発ビル「さつきた8・1(はちいち)」内に、演劇やダンス、小規模コンサート、落語、映画上映など舞台芸術の上演をメインにしながら、地域コミュニティの場など、さまざまに利用できる本格的な民間小劇場、「北八劇場」が2024年5月11日(土)にオープンする。そのオープニングに向けた説明会が、2023年11月10日、札幌市中央区のイベントスペースEDiT(南2条西6丁目)で行われた。(写真は、「北八劇場」の説明会。左から北八劇場支配人の伊藤久幸氏、北八劇場芸術監督・劇団イレブンナイン主宰の納谷真大氏、一般社団法人田中記念劇場財団理事長・JBEホールディングス社長の田中重明氏)

「北八劇場」の名前の由来は、劇場がある地域と劇場が生まれるに至った歴史的背景に思いを寄せ、明治、大正、昭和、平成、令和に至る北海道開拓の歴史を感じてもらいたいという狙いがある。また、「北八」には末広がりの印象もあり、劇場と札幌の街の発展への願いが込められている。

 説明会に出席したのは、劇場オーナーの田中重明氏(一般社団法人田中記念劇場財団理事長、JBEホールディングス社長)、北八劇場芸術監督で劇団イレブンナイン主宰の納谷真大氏、北八劇場支配人の伊藤久幸氏。本稿では、説明会で3人が語った内容を要約して掲載する。

 北八劇場を複合施設内に建設したのは、北8西1地区の地権者の一人、田中重明氏がトップを務めるJBEホールディングス。運営は、一般財団法人田中記念劇場財団が行う。田中氏が劇場建設を決断したのは、曾祖父、田中重兵衛と高祖父、大塚嘉久治の足跡に触発されたから。田中重兵衛は、明治の初めに札幌に入り、陶器・度量衡器の販売を始め、明治35年頃に北8条西1丁目の土地を購入した。区画整備が始まり、民間に土地を払い下げた頃だった。北九条小学校が開校、札幌駅もできたことで、駅チカのポテンシャルを見越した不動産投資だった。高祖父の大塚嘉久治は、榎本武揚とともに箱館戦争を戦った。旧幕府軍の榎本は敗れたものの、才能を見込まれ新政府に重用され、小樽の土地の払い下げを受ける。その管理を大塚に委ね、大塚は小樽発展の礎をつくった。町の中心部、稲穂町に「稲穂座」という芝居小屋をつくったのもその一つだった。

 小樽の街づくりに精を出していた大塚嘉久治と札幌駅近くに土地を購入して、ビジネスを始めようとしていた田中重兵衛が、もし札幌で出会っていたら、劇場が生まれていたかもしれない。そんな2人の血を引く田中氏は、120年の時を経て2人が描いたであろう思いをこの地に凝縮させた。

 田中氏は、こう語る。
「明治の初め、何もない原野の北海道にやってきて、街をつくり、歴史をつくり、今日の北海道を築いてきた先人たちの思いや開拓者精神をこの劇場のルーツにしたい。地域の歴史に学び、先人の足跡に思いを寄せて、『北八劇場』の活動を全国、全世界へと発信していきたい」

「数年前、劇場建設が正式に決まった時、私たちは『“劇場のある街”が、2024年春、札幌駅北口に生まれます。』というキャッチコピーをつくりました。劇場が持つ夢やワクワク感を街全体で共有できる開かれた劇場にしたいという思いを込めたものです。演劇だけでなく、舞台芸術、パフォーミングアーツを実現するためには、演じる人と観る人が必要。この街に集う人たちは、見る人として舞台を楽しんでもらう一方で、イベントやそれぞれのお稽古ごとの発表の場として演じる側にもなってもらいたい。北八劇場は、すべての人に、ハレの舞台を提供したい」



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