医療法人社団平成醫塾「苫小牧東病院」は16日、商業施設企画・設計コンサルのディール企画野呂幸司社長(74)を講師に招き、第55回平成醫塾セミナーを開催した。演題は『切に生きる』。野呂氏が大学生時代に体験した旭岳遭難がその後にどういう影響を与えたかなど実体験に基づく人生観を語った。看護師や理学療法士、病院職員など約70人が熱心に聞き入った。(写真は、講演する野呂幸司社長)
『切に生きる』とは、今ある自分を自身が認め、如何に向上していくかを最大の目標にして懸命に生きることを示す言葉。
野呂社長の人生観を集約した言葉だという。45年前、道学芸大函館分校で山岳部に所属し夏の日高山脈全山縦走や知床半島の山々に挑戦してきた同山岳部。そのリーダーとして初めて挑んだ冬の旭岳登頂。突如襲った爆弾低気圧の暴風雪は一行11人を襲い、生還できたのは野呂社長1人。自らも足首から先を凍傷で切断する。仲間たちを助けられなかった負い目は野呂社長の心に傷を刻み、そして『生きる』ことの意味を心身共に悟ることになる。
足首から先を切る手術をしたのに感覚は残っていた。『何だ、切っていないのか』とベッドから起き上がって床に包帯をぐるぐる巻いた足を着けて歩こうとしたらバタンと前のめりに倒れた。『あっ、足がないのか』――。悔やむか、受け入れるか。野呂社長は現実を受け入れる選択をする。
『そうか、足首から先はないのか。ならば、ここからがスタートだ。過去はないんだ。今日から新しい人生を拓いていくんだ』
遭難を経験して得た人生観は、人生は1回きり、焦ることはなく半歩ずつでも前進すれば目的を達成できるということだった。「10人は亡くなったが、山で得た経験から、世の中に不可能はない、必ず解決できる、いろんなことがあっても乗り越えることができるということだった。得意だったスキーを続けるため義足でスキーをしたし、ビール瓶で切断したところを叩いて鍛えたりした」と野呂社長。
大学卒業後には教員採用試験に通り中学教諭を務め、その後明治生命のセールスマン、鉄工所の共同経営、住宅販売会社を経て27年前にディール企画を設立。まさに波乱万丈の人生を歩んできた。
「一に健康、二に嘘を言わない、三に相手を思いやる。この三つの価値観が大事。五体満足なら今の自分はなかったと思う。足を切ってようやく一人前になった。ハンディを隠すことはないし堂々とハンディを出し、それを乗りきってこそ一人前になるというのが私の経験から得た教訓」(野呂社長)
セミナーに参加した病院関係者は、熱心にメモを取るなどして講演に聞き入り、「自分自身の生き方の参考にしたい」、「患者さんとの接し方のヒントになった」という感想が出ていた。