商業施設の企画、設計、コンサルタント業務などを行っているディール企画の野呂幸司社長が職業訓練校の笑顔塾(小菅美恵子社長)で講演、求職活動中の約30人を前に自身の半生を振り返って「切に生きる」、「窮すれば通ず」などの言葉とともに前向きに生きる大切さを訴えた。(写真は、講演する野呂氏)
 
 野呂氏は、道学芸大函館分校在学中に旭岳の冬山登山で遭難、11人のパーティでただ1人生き残った。しかし、凍傷で両足のショパール関節から切断、24歳から義足生活を送ることになる。
 
 両足切断の手術後の心境について、野呂氏は「麻酔が切れて気が付くと足がまだある感覚だった。『何だ、足はあるのか』と思ってベッドから降りたら倒れて額を床に打ち付けてしまった。『やっぱり足はないんだ』と再びベッドに横たわったときのショックは大きかった。しかし、すぐに『過去はないんだ。これからが私の人生のスタートだ』と思い直したら、『よし、やるぞ』という気持ちが沸々と湧き上がってきた」と語った。
 
 退院するまでに、自転車に乗れるようになったり、函館山に登ったりと健常者に負けない努力を重ね、退院後は教員採用試験に合格、中学教師として社会人生活をスタートさせた。
 
 中学教師を辞めて明治生命に転職、一軒一軒セールスに回っても最初のうちは契約が殆ど取れない日々が続く。この時の転機になったのも自分自身の心の持ち様だったという。
 
「玄関でチャイムを鳴らしても門前払いの毎日。教師を辞めたことを後悔することもあった。ある日、お袋の作ってくれたおにぎりを食べながら公園のベンチに寝そべっていると雲がどんどん形を変えて動いていく。『そうか、自分は変わらなければいけないんだ』と直感し、そうしたら力が湧いてきた」
 
 以来、訪問先一軒一軒に手紙を書き、1日に10枚、20枚と増えてくる。一度訪問した先には1週間や10日に1回、葉書を書き続けると徐々に契約が取れるようになり、当時の新型保険販売で全国一、法人契約でも東北・北海道で一番の営業実績も残した。
 
 転勤を命じられたのを機会に明治生命を退職して今度は紋別で友人と鉄工所を共同経営。しかし、不渡り手形を掴まされて鉄工所は閉鎖を余儀なくされ会社は整理。「今でも当時の不渡り手形を自分の財産だと思って大切にしている」と言う。
 
 それから3年後に友人とディール企画を設立し商業施設の企画、設計、コンサルに乗り出す。「両足の切断から、私はずっと不可能を可能にしていく生き方をしてきた。このことは世の中の仕組みを変えることにも役立った。例えば、いろいろな法律で大型店舗の建てられない土地に店舗を建設することができたのは、法律には但し書きが必ずあって、地域にあった運用が可能ということがあったからだ。建てられない場所でも、住民が望めば可能になる。私は、町内会を一軒一軒回って地域住民の要望を行政に反映させ、大型店が出店できるようにした」と語る。
 
 野呂氏は、「切に生きる」という言葉と「窮すれば通ず」という言葉を紹介。
「『切に生きる』というのは、中国の言葉だが、ひとり一人が今いる立場で一生懸命に生きるということ。自分の人生は1回しかないから、人を通して自分の人生を育むことが大事。また、『窮すれば通ず』と言うのは、困れば困るほど道は開けるということ。他人のせいではなく自分が主役なのだから、とことん困ったら誰かが情報をくれたり助けてくれるもの。人間は、一人ではないし、人は人で支えられている。縁を大事にしなければいけない」と結んだ。
(講演は、6月22日に行われました)

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