官房長官や旭川市長を務めた五十嵐広三さんを偲ぶ会に参列者1200人、村山元首相「集中した采配は見事だった」

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 旭川市長や自社さ政権で誕生した村山富一内閣の官房長官を務め、5月7日に死去した五十嵐広三さんを偲ぶ会(旭川市主催)が14日、旭川市民文化会館で行われた。村山元首相や赤松広隆衆院副議長、高井修副知事、西川将人旭川市長のほか遺族関係者、市民など約1200人が参列した。偲ぶ会では、五十嵐さんの在りし日の映像が流され、参列者全員で黙とうするなど別れを惜しんだ。(写真は、追悼の辞を述べる西川将人市長=左と弔辞を読む村山富一元首相)
 
 五十嵐さんは、1963年37歳で全国一若い市長として初当選、3期12年務めた後80年に国政に転じ、96年まで衆議を務めた。通算50年間にわたる政治生活だった。
 市長時代は買物公園、旭山動物園を作り、旭川医科大学や東海大学を誘致、現在の旭川の基礎を作った。
 市長に就任した時、職員には「君の仕事では、君が市長だ」と言って、職員の意識を鼓舞したという。
 
 西川市長が追悼の辞を述べ、弔辞は赤松衆院副議長、村山元首相、高橋はるみ知事代理の高井副知事、三井幸雄旭川市議会議長、新谷龍一郎旭川商工会議所会頭のほか、友人代表として山崎正英さん(山崎産業社長)と木内和博さん(優佳良織工芸館館長)がそれぞれ行った。
 
 村山元首相は、「私が総理大臣になった時、官房長官には五十嵐さん以外には考えられなかった。誠意をもって、慎重にことを運び、一旦決意し集中した采配は見事だった」と語った。

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