リユース事業を核にアミューズメントを融合させたエンターテインメント事業を展開する万代(本社・仙台市太白区)。その時代を象徴する“遊び”を創造し、お客に感動体験を提供し続けるとともに、さまざまなアプローチから独自の“遊び方”を追求し続けてきた。その裏には、25歳で起業した、倉橋純一代表取締役(53)が蓄積してきた独自の人や社会に対する観察眼がある。家族が時間を共有していかに楽しく過ごせるか、地域の暮らしに寄り添いながら新たな“遊び”を提供し続ける倉橋氏に、万代の歩みと今後の方向性をインタビューした。
(写真は、インタビューに答える万代・倉橋純一代表取締役)
――略歴を教えてください。
倉橋 1972年12月、神戸市東灘区生まれ、53歳です。近畿大学文芸学部を3回生で中退して旅行会社などに勤めましたが、22~23歳の頃に父親の商売がうまくいかなくなって、25歳で起業することにしました。家族の収入が途絶えることになったので、自分が商売をして家族を支えようと思ったからです。
母が、神戸三宮でマンガ喫茶を経営していたのですが、辞めるタイミングと重なったので、店の在庫を3万冊引き継いで、中古漫画のリサイクルショップを始めることにしました。神戸から東に向かって物件を探して歩き回りましたが、25歳の個人を相手に貸してくれるところがなく、ようやく見つけたのが、滋賀県五個荘町(現東近江市)の「靴のマルトミ」が入っていた物件でした。
1999年に開店して、ビデオや中古漫画を販売することにしました。「ジャンプ」や「ビッグコミック」をよく読んでいたので、それに関連するゲームやファミコンも揃えました。あの頃は、ホームエンターテインメントが最初に押し寄せる時期。私と4人のアルバイトで店を切り盛りしたのですが、100坪くらいの小さな店がものすごくあたって、いきなり1000万円くらいを売り上げました。
ペルソナ(顧客像)を男性に絞り、深夜2時までのナイトマーケットを狙ったところ、予想通り、夜に強い店になりました。当時、既に『ブックオフ』や『ゲオ』がありましたが、ターゲットが違っていましたから競合はありませんでした。300坪の店にもトライして、順調でした。ナイトマーケットに手応えがあったので、新たな出店地域を見つけようと、一定程度の人口規模があって、娯楽がまだ発展途上の都市を探しました。候補に挙がったのは、仙台市、金沢市、松山市でした。京都市や大阪市などの大都市では、夜に遊ぶ人たちに向けた娯楽の要素が多いため、私たちの業態のマーケットが広がらないからです。
滋賀県五個荘町に出店して分かったのは、夜のファミレスにたむろしている若い人たちは、娯楽に飢えているということでした。まさに、そういう人たちがターゲットだったので、全国の夜間のファミレスを見て歩きました。フリードリンクでたむろしている人たちが多かったのが、その3都市でした。そこでチャンスを掴もうと、29歳の頃に仙台市に進出しました。
仙台市では、どの店舗もあたりました。そうこうしていると、仙台市で新たな物件情報が入ってきました。私は、神戸出身なので灘神戸生協と繋がりがあって、店舗開発の担当者とも知り合いでした。その方から、みやぎ生協にこういう物件があると。そこは今、当社の本社になっている場所でもあるのですが、売り場面積は1200坪ありました。当時は、300坪の販売ノウハウしかなかったのですが、いきなり4倍の広さの店舗に挑戦することにしました。半分の600坪を15分300円、遊び放題のカラオケ、ゲームのサービス店舗として、残り半分の600坪をリユースショップにしました。
15分遊び放題のエリアは、大阪市で展開していたある企業のビジネスモデルを、ほぼそのまま使わせてもらった。すると、会員が8万3000人集まりました。自己資金がそんなになかったのですが、入会費だけでも2500万円くらい集まって、それが資金になりました。
その資金を使って広い面積でのリユースショップ展開を育てていきました。その後は、15分遊び放題のビジネスを縮小して、男性に特化したフルラインを用意する業態に転換していきました。私もその時は30代なので、自分をターゲットに設定してビリヤード、エアガン、楽器、メンズファッションなどを揃えました。



































