北海道の若手経営者を育て、ニトリやアインのような成長企業を陸続させようと官民で取り組んでいる北海道経営未来塾(塾長・長内順一未来経営研究所社長)は11月4日、札幌市中央区の札幌パークホテル1階テラスルームで、第5回定例講座を開催した。講師は、経営未来塾で毎年講義を行っているニトリホールディングス(札幌本社・札幌市北区、東京本部・東京都北区)の似鳥昭雄会長兼CEO(78)。テーマは、「成功の5原則ーニトリの経営」。7期生36人を前に語った講演の120分間を、ダイジェストでまとめた。(写真は、講演する似鳥昭雄氏)

「1967年、23歳の時、親から100万円を借りて似鳥家具店を開いたのは、生きるためだった。住むところがなく、食べるものもなく、友だちのところに居候しては10社くらいの面接を受けたが全部だめで、野宿もした。親がかき集めてくれた資金を元手に事業を始めた。店の広さ30坪くらいで、ソファを4つ、ベッドを3つくらい置いたらもういっぱいになった。カタログを見せたり、詐欺まがいな商売もしたりしていた」

「小規模所帯の時はみんな似たり寄ったりで、そういうことをやっていた。大売り出しの旗を年中出したりね。最初は、月40万円しか売れなかった。60~70万円を売らないと黒字にならないし、80万円を売らないと食べていけない。他の店より安くするため、問屋ではなくメーカーから直接仕入れるようにした。メーカーは冬の間は売ってくれたが、春になると問屋に卸さなければならないから売ってくれなくなった。それでも、メーカーから直接仕入れれば、安いから売れることが分かったのは収穫だった」

「1971年に2号店を出して、似鳥家具卸センターを設立した。2号店を出したのは、1号店に駐車場がなかったから。30坪の1号店で、良い嫁さんももらったので、これで生きていけると思っていた。でも『駐車場がないからもう来ないよ』とお客から言われて、もう1店舗だけ出そうと、北28条東1丁目に出した。2号店は250坪の店だったが、よく売れて、俺は天才じゃないかと急に思ったりした。ところが、すぐ近くにある家具店が、1500坪くらいのものすごく大きな店を出した。その途端に売り上げが3割、4割と減って、銀行から早く金を返してくれと矢のような催促を受けた」

「赤字では融資はできないとなって、3ヵ月、4ヵ月先は倒産という事態になった。死ぬしかないなと思ってビルから飛び降りようとしたが、怖くてできない。木に縄を括って首を吊ろうと実験をしたけど、枝が折れて途中でやめた。死ぬ勇気がなかった」

「アメリカに行ってから死ぬかどうするかを考えようと、視察セミナーに参加した。40万円を遊び仲間の問屋の社長から借りて、アメリカに行った。アメリカは日本より50年以上進んでいた。現地では感動して、興奮して、夜も眠れなかった。日本より進んでいる上に、価格も2分の1から3分の1。日本は売る立場、作る立場で考えるが、アメリカはお客にとって便利で安いということがポイントになっていた」

「アメリカに行ってから、考え方が変わった。日本はアメリカよりも50、60年遅れていることに衝撃を受け、追いつけ追い越そうと30年間の経営計画を立てた。日本の人たちに、アメリカの豊かな暮らしを味わってもらいたいという思いが湧き出た。後から思えばそれがロマン=志だった。ロマンが一番大事で、二番目に大事なのは、ビジョン。ビジョンとは20年以上先のことを言う。私は30年にした。ロマンとビジョンがあったから、やる気、意欲、熱意が出た。途中でだめだなと思っても、諦めない執念を持ち続けることができた」

「50年、60年進んでいるアメリカの真似をしようと、進んで同じことをした。いいとこどりをする考えもあるが、いいと思ってもうまくいかなかったり、だめだと思ったものが成功することが結構多い。何が良くて、何が悪いかわからないから、とにかく100%模倣しようと。音楽でも絵でも、一流を究めるにはまず模倣することから始まるように、事業も真似てみた」

「当時の売り上げは4店舗で10億円くらい。その時に1000億円という、100倍の計画をつくった。過去の成功体験を否定して、新しいことをどんどんやった。同じことの繰り返しには興味がない。新しいことに挑戦していくことが生きている証。同じことをやっているのは、死んだ人間と同じ。何の面白みも感じない」



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