壺屋総本店・村本暁宣社長インタビュー「ときの杜 買物公園店の狙いと今後の成長戦略」

経済総合

 ーー今後の店舗戦略はどのようなものでしょうか。

 村本 物産展などでは、「き花」を広げるために道外、海外に展開したり、現地企業と提携して店舗をつくったりしてきました。それはこれからも続けていきますが、道外、海外への常設の出店は考えていません。出店ということに関しては、「壺屋」ではなく新しいブランドによる出店があるかもしれません。チョコレート職人であるパティシエの村本賢亮常務が当社に戻ってきてから、先ほど述べた「RAMS」というチョコレートのブランドを立ち上げました。「き花の杜」の中に入っていますが、「RAMS」は、単体のブランドだけで展開できるようにしています。今回も、「potea」だけを切り取って出店することを考えています。「壺屋」は、製造責任やプロデュースといった後方支援の組織として役割を果たせば良いのではと考えています。

 ーーM&Aや業務提携については。

 村本 それは全然考えていません。自力で行きます。店舗は、今度の店を入れて20店舗ですが、今後は集約していきたい。体験型や楽しめる空間をお客さまも重視してきているので、拠点、拠点に店舗をまとめていければ良いのではないかと思っています。札幌市内もいずれは拠点をまとめて、一つの路面店にしたいと思います。

 首都圏では、今や総合菓子店という業態がなくなりつつあります。チョコレート専門店やケーキ専門店、和菓子専門店というようなカテゴリーごとの店舗が生き残っていくのではないかと思います。都市部では、そういう動きに拍車がかかるのではないでしょうか。ところが、北海道では、当社のような総合店が多く残っていて、パンも扱ったリしています。九州では、総合店大手が進出したことによって、地元の総合菓子店が苦しんでいるようです。こうした環境下では、単品スタイルに切り替えていかなければ対抗できないのではないか。いずれ北海道も、そういう方向になっていくと思います。そうした時に、「壺屋」を土台として、チョコレートショップであったり、ドリンクショップであったり、カテゴリー単位の出店が増えていき、売り上げもそれに比例して上がっていくのではないかと考えています。

 ーー健康に配慮したお菓子にも重点を置いていますね。

 村本 低糖質クッキーの「ロカボクッキー」は、デルタインターナショナル(本社・東京都品川区)と共同開発したものです。甘味料や添加物をほとんど使わないで低糖質のお菓子を作ることができるのは、おそらくお菓子屋意外には難しいのではないか。大手菓子メーカーは、研究室で生まれたような添加物を使うなど、様々な要素が組み合わさって健康に配慮したお菓子が作られています。当社には「き花」という土壌があります。アーモンドという素材が低糖質で、油も良質なオメガ9という物質を含んでいます。砂糖と組み合わせることによって血糖をコントロールしやすい物質に変化します。偶然なのですが、「き花」の製造によって、健康分野に進出しやすい素材を持つことができました。そこをベースに、今後も健康志向のお菓子を手掛けたい。

 ――観光土産、直営店舗、健康の3分野で、事業を展開していますが、現在の売り上げ状況はいかがですか。

 村本 コロナ2年目ですが、現在は、旭川と札幌の店舗売り上げがベースになっています。コロナ前は、観光土産5億円、店舗10億円という内訳で年商16億弱でした。しかし、コロナ禍により観光土産向けが大きく落ち込み、今期売上高は14億円をキープできるかどうかです。「ときの杜」を弾みにして、何とか15億円まで戻そうという攻防戦をしている最中です。

 ーーところで、社長は入社前にどこかで修業されたのですか。

 村本 滋賀県近江八幡市の「たねや」というお菓子屋で修業しました。和洋菓子を作っていて、バームクーヘンの火付け役になった「クラブハリエ」も「たねや」グループです。「たねや」は、日本で有数のお菓子屋だと思います。

 ーーなぜそこに行かれたのですか。

 村本 以前、「壺屋」と「たねや」が商品のやりとりをしていたことがあって、私が大学生の時に遊びに行くと、妙に面白くて楽しかったので、丁稚奉公のように「たねや」の社長宅に転がり込ませていただきました。その社長には、親よりもたくさん怒られながら6年間修業して、旭川に戻ったのが30歳の時でした。

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