ーーもりもとはBCP(事業継続計画)で「レジリエンス認証」(国土強靭化貢献団体認証)を受けました。業界でも珍しいとことだ思います。
森本 給食用のパン製造は地域の子どもたちの毎日の食を届けるインフラ的な仕事ですから震災など大規模な災害があっても、きちんと商品をお届けすることが基本です。そんなことからBCPを会社として策定することになり、17年に策定しました。
翌18年9月に北海道胆振東部地震が起きましたが、策定していたBCPに基づき初期対応をどうするか、6時間以内に全員の安否確認の実施、24時間以内に原料を確保ーーなど取り決め通りに実践しました。BCPを策定しておいて本当に良かったと思いました。そうした対応が認められて18年11月には製造業における「給食事業」、「パン製造業」、「菓子製造業」として全国で初めてのレジリエンス認証を取得することができました。
普段は仕事に追われていますから、もし災害が起きたらどうするかなどそれ以前はなかなか考えられませんでした。でもBCPを作ったことでBCP予算を計上したり、足りない部分をカバーする取り組みもできるようになりました。万が一の時にどうするかということを考えることは、次を予測して仕事をすることに繋がるので従業員のレベルも上がっていきます。
ーー店舗は、路面店のほかに百貨店・ショッピングセンター内へのインショップがありますが、今後の出店戦略についてどう考えていますか。
森本 右肩上がりの時代なら新規出店を増やしていくことも選択肢ですが、今の時代は店舗を増やしていくことが必ずしも成長に結び付きません。売り上げや知名度を上げるために店舗を増やしたり、道外や海外に進出したりすることはやるべきではないと思っています。何らかの意味や意義があれば考えますが、今のところ道外や海外に出ていく考えはありません。
今は、皆さんが北海道に来てくれる時代です。「北海道にこんなお菓子屋さんがあるんだ」と知ってくれたらそれで良いかなと思います。
ーー道内の主要地域で店舗がないのは帯広だけですね。
森本 (帯広市民から)出店してほしいという声も来ますが、物流ルートの問題や鮮度も関係してきますから出店の計画はありません。いろいろな地域に出店して根無し草になってしまってもいけないので。
ーー地方には後継者不足で承継問題を抱えるお菓子屋も多いと思います。地方の味を存続する意味でも、もりもとがやれることもあるのではありませんか。
森本 富良野の「菓子司新谷」は08年にグループ会社になりましたが、新谷には後継者がいなかったので買収の話を持ちかけられました。当社の会長(当時社長)が新谷の社長と会ったら、職人同士なので意気投合しました。互いに気が合うことはとても大切なことです。新谷は富良野で100年続く老舗菓子店、もりもとは千歳を拠点に60数年の歴史があります。互いに観光土産のお菓子ではなく、地元のお客さまを大切にしてお菓子作りを続けてきたことなど共通点が多かった。
トップ同士で話が決まり、事業を譲り受けましたが、当初は富良野の人からの反発もありました。「千歳の大きなお菓子屋が、富良野の伝統あるお菓子屋を資本の力で買った」と受け取られたのです。風当たりもきつかったのですが、地域に溶け込むことが必要だと地域活動に積極的に参加し、地元の商工会議所にも加盟して地域の人たちとの人脈づくりにも取り組みました。
そうした小さな積み重ねを10年続けた結果、今では地元に受け入れられていることを実感します。地方には新谷のような老舗菓子屋が多いと思いますが、ケースバイケースで対応していくことが必要だと思います。
ーーもりもとの3代目社長として何を大切にしていますか。
森本 トップの座を継ぐことの本質は、何を継続しなければいけないかをしっかり把握することだと思います。自分の我がありすぎるとうまくいかないし、我がなさ過ぎてもいけません。私の感覚としてそうしたことが大事という思いがあって、それを新しく表現していくことができればと考えています。70周年は大切なことを自分の中で整理する良い機会になりました。本当に大事なことを分かりやすく伝えることが一番大切だと理解しています。
ーー本日はありがとうございました。