――MMSマンションママネージメントサービスの基盤ができたのは設立10年後くらいですか。
堂守 創業から10年くらいで道内では管理戸数で圧倒的に1位になっていました。しかし、時代はバブルの崩壊時期に重なって当社がお世話になっていたモリショーは、北海道拓殖銀行と日本長期信用銀行の破綻によって資金繰りが付かなくなって倒産しました。
しかし、モリショーとの関係があったことから当社と阪急電鉄の縁は残っていて、結局、阪急と当社で大阪に管理会社をつくることになりました。会長が大阪に常駐して98年2月に阪急ハウジングサポートという50対50の会社が設立され次の10年の大きなトピックになったわけです。
――阪急ブランドは、北海道ではあまり知られていないかもしれないですが、関西では一大ブランドです。合弁会社の設立には苦労があったでしょうね。
堂守 阪急が折半で合弁会社を設立したのは当社が初めてだったと聞いています。それまでは阪急が主導権を持つのが当たり前だったことに、会長が風穴を開けたのです。大阪でも札幌と同じように会長自ら飛び込み営業で管理物件を増やし、阪急のマンション以外にもどんどん評価を高めながら短期間で急成長しました。
――北海道のマンション管理のノウハウが、大阪で新たな価値を生み出していったということですね。
堂守 その後、阪急電鉄は阪神電鉄を子会社にして新たに持ち株会社を設立、阪急と阪神のマンション事業を統合することになったこともあって08年12月、10年間続いた阪急ハウジングサポートの当社保有株式を阪急電鉄に売却して資本関係を解消しました。
――北海道に集中しようということですか。
堂守 阪急との合弁を解消した翌年の09年、NIPPOから同じスタイルでやりませんかと誘われました。東京の再開発ビルの管理業務やこの先、NIPPOは西日本を中心にした物件展開や再開発を行うので管理会社を一緒に作ろうと言ってくれました。NIPPOが北海道で最初にマンション事業をやった時の責任者の方から当社に声が掛かったのです。その方は、父のことをよく知っていて、『MMSと一緒にやりたい』という話になったのです。
――折半出資で設立した「NIPPOファシリティーズ」の管理物件は大半がNIPPOの物件ですか。
堂守 NIPPOの開発物件であるビルやマンションなど様々な施設を管理させてもらっています。特に象徴的な物件は、JR広島駅前にあるマンション、ビル、商業施設の大型再開発物件「エキシティ・ヒロシマ」の管理です。08年12月に阪急との合弁を解消したことによって収益は一旦下がりました。NIPPOとの事業といっても一からですので、収益に貢献するようになったのは最近です。そういう経営環境の中で、次にどんな展開をしていこうかと思った時に札幌市の公営住宅の指定管理業務が出てきました。
分譲マンションがどんどん建つ時代も終わっていましたし、ビル管理といっても民間の大型物件にも陰りが見えていた時期です。そうしたタイミングの時に公営住宅の管理業務に進出することになったのです。2010年4月から始まったこの仕事は予想以上の評価を受けて、市営住宅は2区から3区に広がり、この4月からは業務量とすれば倍以上になりました。業務範囲も入退去から営繕まで大幅に増えて指定管理者として3期目(1期は4年間)を迎えます。道営住宅も、苫小牧の1市から現在は7市町に増えました。今年度からは空知地区3ヵ所、浦河地区が2ヵ所、後志地区とさらに7ヵ所も増えました。