アークス(本社・札幌市中央区)グループの東光ストア(同・同市豊平区)は、定山渓鉄道の流れを汲むじょうてつ(同・同)や東急ストア(同・東京都目黒区)の出資で1972年7月に設立された、定鉄商事(同・札幌市豊平区)がルーツ。「札幌東光ストア」の屋号で食品スーパー事業を開始、1975年5月には「札幌東急ストア」に屋号を変え、1998年4月には社名も札幌東急ストアに変更。2009年10月のアークスグループ入りで社名と屋号を「東光ストア」に変更して現在に至っている。前身の定鉄商事の設立から数えて今年が50周年に当たる。楠美秀一社長(68)に、50周年を振り返ってもらい、ポスト50周年に向けた成長戦略を聞いた。
1954年4月生まれ、1979年2月定鉄商事入社。店長や店舗運営部長、水産部長などを経て2001年6月取締役農産部長、2008年5月取締役商品部長、2009年6月取締役営業本部長。2009年10月にアークスグループ入りして東光ストアに社名変更した後、2012年10月常務取締役販売統括部担当兼販売促進ゼネラルマネジャー、2013年5月専務取締役、2014年5月社長就任。

 ーー定鉄商事として設立スタートしてから50周年ですね。設立の経緯を教えてください。

 楠美 1969年11月に東急電鉄系の定山渓鉄道が廃止され、バスに転換しました。鉄道廃止に伴い、従業員の雇用を生まなければいけないということもあって、1972年7月に定鉄商事が設立されました。東急子会社のじょうてつと東急ストアなどの出資を仰ぎ、東急ストアのノウハウをもらってのスタートでした。屋号は「札幌東光ストア」で1号店の「木の花店」(札幌市豊平区)は同年10月にオープンしました。その頃は、ちょうど高度成長期の曲がり角の時期。東急グループが北海道で展開していたボウリング場も行き詰まりを見せ始めていました。そんなこともあって1975年12月にオープンした「豊平店」(札幌市豊平区)は、ボウリング場を転用したものでした。「行啓店」(同市中央区)、「北栄店」(同市東区)、東急ストア本体が運営していた「自衛隊前店」(同市南区)もボウリング場跡を利用してのスタートでした(「豊平店」、「北栄店」、「自衛隊前店」はその後建て替えられたが、「行啓店」は現在もボウリング場だった建物を利用している)。屋号が「札幌東急ストア」になったのは、1975年5月からです。

 ーー地下鉄沿線への出店が多かった。
 
 楠美 現在の「平岸ターミナル店」(札幌市豊平区)の向かいのビルの地下に店を出したのが、1978年10月です。南北線の駅直結1号店でした。その後、東西線が開通、地下鉄駅立地の店舗が商売になるということで、「南郷13丁目店」、「南郷7丁目店」(いずれも札幌市白石区)を出店しました。地下鉄南北線の地上部分は定山渓鉄道の線路跡を走っています。そうした経緯もあり、当社が優位的に地下鉄ラインにお店を出せたこともあったようです。東西線が開通した時にもそういった事情が生きていたようです。当時は、札幌フードセンター(当時、現イオン北海道)か当社のどちらかが、駅の近くに店を出すパターンが多かった。
 
 ――その頃、駅近の店舗はあまりなかった時代です。

 楠美 地下鉄が開業して、すぐに出店したわけではありません。駅の近くに若い世代が住むようになって、栄え始めたタイミングで出店しました。当時、東急ストア本体が田園都市線や東横線などの沿線で多店舗化していましたから、それを見習った面もありました。

 ――「東急ストア」の時代には多角化にも取り組んでいました。
 楠美 1985年にはファストフード事業に参入、「ミスタードーナツ」、「モスバーガー」を展開しました。ファミリーレストランも3店舗展開、ホームセンターも運営しました。1984年には、マイクロバス型の移動販売車を最大4台ぐらい走らせて、郊外の団地向けに展開したこともありました。ネット販売に近いことも手掛けています。まだネットのシステムがない時代に、宅配事業者と組んで電話や FAX で注文を受けて対応していたのです。2005年11月にじょうてつから東急電鉄の子会社になった際に、そういった負担が大きかった事業を整理して、経営資源を本業の食品に注ぐことになりました。そういうことがあったのでアークスグループ入りができました。
 
 ――札幌市内で果たしてきた役割は、大きいものがあると思います。50年間の足跡をどう振り返りますか。
 
 楠美 私が入社したのは5店舗目の直営店「北栄店」(札幌市東区)がオープンしてから半年後でした。それから44年になりますが、当時は規模も小さかった。ちょうど、ダイエーや西友、イトーヨーカドーなどの大手全国チェーンが北海道に進出してきた時期で、私たち地場スーパーとの戦いが始まった頃でした。
 2009年10月にアークスグループの仲間入りをして「東光ストア」に屋号を変更しましたが、設立から半世紀を迎えられたのはまさに地域の人々に愛されてきたからだと思います。私たちの商売にご理解いただいているからこそ、今日まで継続することができました。もちろん従業員の頑張りもあるし、先輩方の足跡にも大きなものがあります。札幌圏というある程度人口の多い地域で事業を展開できたことも、50周年に繋がったと思います。



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