最新ファッションと若者文化の発信基地として、札幌の流行を牽引してきた4丁目プラザ(中央区南1条西4丁目)が1月31日、50年5ヵ月の営業を終了した。最終日には多くの市民が押し寄せ、館内は終日賑わった。閉館セレモニーでは、別れを惜しむ市民が見守る中、4丁目プラザの廣川雄一社長が、「4プラは若い市民と共に育ち、使命と役割を果たして今日、ハッピーエンドで終了することができた」と謝辞を述べた。※動画はこちらの画像↓をクリックしてご覧ください。
(写真は、閉館セレモニーを終え深々とお辞儀をする4丁目プラザ廣川雄一社長ら関係者)
低い天井やレンガ造りの内装、街灯のようなモニュメントが時代を感じさせた「4丁目プラザ」は、“4プラ”の名称で親しまれ、1971年9月3日のオープンから
50年間札幌の青春を運び続けたファッションビルだった。札幌五輪を経て成長を続けた青春時代の札幌、そしてそこに住む市民各世代の青春を受け止める存在だった。「4プラに行くとウキウキした」、「ミニスカートが流行っていた頃、膝上20cmの赤いミニスカートを初めて買った」、「そこに行けば自分の好きなものに出合えた」、「古着を選ぶには最適な場所だった」。館内BGMやポスターは時代を映す鏡そのものだった。
(写真は、街灯のモニュメントがある7階フロア)
(写真は、レンガ仕様の柱がある地下1階フロア)
閉館日のこの日、札幌は雪が降り続き、時折視界を遮るほど吹雪くこともあった。人通りの少ない外と対照的に、館内は市民で溢れた。各階では店員と別れの挨拶をするお客の姿が目につき、エレベーターは数珠つなぎになった。閉館時間が近づいても人の流れは途切れなかった。
閉館後の午後8時20分、蛍の光のメロディーが流れる中、閉館セレモニーが地下2階の出入り口で行われた。廣川社長はこう述べた。「4プラは、『札幌にファッション革命が起きる』をキャッチフレーズに東京銀座などから多くのテナントが札幌に初出店して市民にインパクトを与えた。開業当初から、地下2階の導入入り口は、段差がないバリアフリー対応となっており、入りやすいインフラだった。7階の自由市場では、街中で坪1万円で店舗オーナーになれると話題になった。4プラホールでは、小劇場やコンサート、芝居、上映会等のイベントを行い、お客さまに喜ばれた。多層階のファッションフロアと連動して各種イベントを展開、若者文化の発信によって多くの市民に青春の思い出を持っていただくことができた」と述べた上で、「4プラは若い市民と共に育ち、4プラの使命と役割を果たして今日、ハッピーエンドで終了することができた。皆さま方のご支援と力添えがあったからこそ無事閉店することができた。愛と感謝を込めてお礼を申し上げたい。誠にありがとうございました」
(写真は、閉館セレモニーで挨拶する4丁目プラザ・廣川社長=右)
詰めかけた大勢の市民の間から拍手が巻き起こり、テナント代表者から花束を受け取った廣川社長らが深々とお辞儀をする中、シャッターが下りた。
4プラの閉店は、建物の老朽化と耐震問題だった。今年3月以降に解体工事に入るが、今後の計画は「種々検討中」(廣川社長)で、現時点では未定。ただ、「再開発後も、より多くの市民の方に親しまれるようにしたい」(同)と話し、商業ビルとして生まれ変わることを示した。
(写真は、4丁目プラザ前を走るササラ電車と市電)