元国鉄保線区長・太田幸夫さんが全国120操車場の配線図を再現

交通・運輸


元国鉄マンで保線区長などを務めた太田幸夫さん(72)が、国鉄の貨物輸送が全盛だった昭和50年ころの全国の操車場(ヤード)の配線図などをまとめた『鉄道による貨物輸送の変遷~操車場配線回顧~』を出版した。
太田さんは、これまでに全国の明治期からのレールの来歴を調べた『レールの旅路』や道内にあった878駅の駅名の由来を記した本を出版するなど鉄道史を中心に執筆活動を続けてきた。


今回の新刊は、10年程前に鉄道技術者の先輩で操車場の設計をしていた故・上楽隆さんから「操車場の図面を後世のために残して欲しい」と託されたことがきっかけになり2年前から図面収集や当時の関係者から話を聞き編集作業に入っていた。
鉄道による貨物輸送のピークは昭和45年で、当時は国鉄全職員47万人のうち約2割に当たる10万人がヤードの仕事に従事していたという。ヤードは国鉄の芸術作品と呼ばれるほどで、機能性と利便性を追い求めた配線はある種の荘厳さも醸しだしていた。
しかし、トラック輸送や船による海上輸送に取って代わられ、鉄道による貨物輸送は全体の4%に縮小、操車場の多くは姿を消し今ではショッピングセンターやマンションなどに変わっている。
収録した操車場は道内の岩見沢、小樽築港、室蘭、函館など33ヤードを含む全国120ヤード。昭和50年当時221ヤードの半分に当たる。
太田さんは一時期、東京で勤務したこともあり当時の同僚や先輩後輩が全国に散らばっているため、その伝手を頼りに資料収集に取り組んだ。鹿児島のヤードでは、現地で当時の様子を友人に聞き取り調査して、ヤードの全体像を復元させるなど、取材執筆の過程でも数々の物語が生まれた。
(A4判、306ページ、2625円。出版元は富士コンテム=011(822)8786)
JR北海道相談役で元社長の坂本眞一さんは、同じ鉄道技術者として太田さんの新刊について「ベトナムでは新幹線を走らせる構想があるが、日本のヤードについても関心を持っている。この本はその参考書になるのでは」と貴重な一冊に賛辞を送っているという。
(写真は太田幸夫さん)

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