北洋銀行の常務執行役員に6月1日付で就任した日銀出身の迫田敏高氏(57)に道内金融界の注目が集まっている。日銀出身者が4代続けて頭取に就任していた北洋銀は昨年、元拓銀の石井純二氏(62)が頭取に就いて日銀ルートが途切れるかに見えた。北洋銀頭取はここ2代は6年で交代しており、石井氏も6年で退くと年齢的にも迫田氏の頭取就任の可能性は高くなる。(写真は、北洋銀行本部と本店がある北洋大通センター)
迫田氏の北洋銀入りが発表されたのは5月15日。同行の3月期決算発表と同時だった。公的資金返済に注目が集まり、迫田氏の人事にはそれほどスポットが当たらなかったが同氏の経歴を見ると、”重たい人事”であることが分かる。
北洋銀関係者にとっても、迫田氏の北洋入りは寝耳に水の人事だったようだ。「おそらく迫田氏の異動については日銀出身の高向巖相談役、横内龍三会長の2人と石井頭取で固めたのだろう。しかも、急な人事だったため本来なら新任取締役としてボード入りしても不思議ではないのにその時間がなかったことが窺える」と金融関係者は語る。
迫田氏は、1956年4月生まれ。80年4月日銀入行。98年5月経営企画室経理課長、2002年6月高松支店長、04年5月人事局参事役、同年7月総務人事局参事役、06年1月広島支店長、08年7月金融機構局審議役、11年5月政策委員会室秘書役に就任している。
政策委員会は日銀の最高意思決定機関。そこの秘書役だったということは、白川方明前総裁の側近だったことがわかる。衆知のように白川氏は3月中旬に黒田東彦氏と交代、迫田氏は5月1日付で総務人事局付に異動、同月10日付で日銀を退職した。
横内会長は、日銀の人事局長のころ、当時吹き荒れた日銀不祥事の責任を取る形で退任、その後弁護士に転身し高向氏に請われて北洋入りした経緯がある。
その後、横内氏は頭取に就いたが、頭取時代から『北洋にはプロパー役員が育っており日銀から人材を受け入れずとも十分やっていける』という持論を隠さなかった。昨年4月に誕生した石井頭取は横内氏のそんな思いを裏付けるものだった。
今回の”迫田人事”には、横内会長の持論をスルーさせるほどの意向が働いたものと見るのが自然だ。
金融関係者がこう予測してみせる。「高向氏も横内氏も頭取在任は6年間だった。石井氏もそれに倣うと5年後には交代ということになるだろう。迫田氏はその間に役員の階段を上り、バントを渡すタイミングとして年齢的にもピッタリ合う」
小柄で武井正直元頭取を彷彿させる迫田氏。果たしてどうなるか。