破綻から22年目、今や当時の混乱ぶりを知る人も少なくなった。拓銀破綻は歴史の一ページとして人々の記憶の中にしまい込まれている。そんな記憶を呼び戻すようなイベントが開かれたという。(写真は、解体される旧拓銀本店=2007年5月撮影)
『拓銀最後の頭取、河谷禎昌氏と語る会』ーー25日、河谷氏(84)の出身高校である札幌北高校のOB有志たちが札幌市内で企画したイベントで、河谷氏が破綻の真相、特別背任での実刑判決を受けたことへの思いなどを話したという。
しかし、このイベントを巡って拓銀OBたちは複雑な心境だ。破綻を経験したOBたちは、河谷氏が頭取に就いたときには既に破綻は回避できなかったことや刑事的に無実潔白であることを誰よりも知っている。河谷氏が刑法犯となり収監されて刑務所で過ごしたこと、出所後の無聊(ぶりょう)な日々などOBたちは破綻の責任を無言で一身に背負った河谷氏に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。語らぬ河谷氏への畏敬の念があったからこそOBたちはカンパを続け無職の河谷氏を支えようとした。
拓銀破綻から20年を迎えた一昨年あたりから、河谷氏は徐々に口を開くようになる。新聞で、テレビで、雑誌で、そして書籍でーー河谷氏は破綻の断面を語るようになった。もっとも、それは活字や映像の世界にとどまっていた。
語らぬ河谷氏が語るようになったことでOBたちと河谷氏の距離に変化が起き始める。拓銀破綻の実相を後世に伝え、教訓としてもらうためにも河谷氏の生の言葉は必要だが、昨年出版された書籍で河谷氏は戦犯として実名で数人を挙げた。そのことに関しては、「河谷氏は自らの晩節を汚した」というOBさえいる。
そうした流れの中での今回の初の顔出し講演。OBたちは潮が引くよう一斉に河谷氏から離れ始めた。当事者には、語らねばならない過去と語ってはならない過去がある。その峻別はその人の思慮に任さなければならない。辛い思いをしたのはOBたちも同じである。