1997年に経営破綻した北海道拓殖銀行の元頭取で、商法の特別背任に問われ懲役2年6ヵ月の罪が確定していた河谷禎昌氏(76)が収監先の釧路刑務所から既に出所していることが分かった。借り手側として同じく特別背任で服役していた中村揚一ソフィアグループ元代表も昨年末に出所しており、これで拓銀事件の被告2人は社会に復帰することになる。
 
バブル期の融資で積みあがった不良債権と金融行政の転換が重なって、拓銀は市場の標的にされて破綻。
 
 経営破綻した拓銀の融資が適正なものだったのかどうかは、民事と刑事の両面から問われた。
 
 刑事事件では時効の関係でソフィアグループ向け融資1本に絞られて特別背任の有無が問われた。被告人になったのは、当時の拓銀会長山内宏氏、頭取河谷氏、それにソフィアグループ代表の中村氏の3人。
 
 札幌地裁では無罪 だったが、2006年8月の札幌高裁では逆転有罪判決。
山内宏、河谷禎昌両元頭取に懲役2年6ヵ月、中村揚一ソフィアグループ元社長に懲役1年6ヵ月という判決で、〈漫然と融資と実質無担保融資を続け、ずさんな融資に伴って生じる責任追及などを恐れ自己保身目的から融資を実行した〉と決め付けた。一審が認めなかった自己や第三者の利益を図る目的(図利目的)を認定した逆転判決だった。
 
 当時、被告代理人の1人だった和田丈夫弁護士は、「供述調書の信用性に一言も触れておらず、公判で証言したことも一切信用できないとしており、これは調書裁判、人質司法だ」と憤っていた。
 
 被告側は上告したが、09年11月に最高裁は高裁判決を支持する判断を示し実刑が確定した。
 
 その後、山内氏は高齢と持病で刑の執行を猶予され、河谷氏と中村氏はそれぞれ収監された。河谷氏は釧路、中村氏は函館に送られた。
 
 拓銀の刑事事件以降、日本長期信用銀行や日本債権信用銀行のトップらが相次いで刑事被告人になったが、いずれも不良債権の分類を巡る旧証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)に問われたもので、拓銀事件と本質的に異なる。
 
 長銀や日債銀事件では当時の頭取らはいずれも無罪が確定している。中でも日債銀事件で最高裁が執行猶予付き有罪とした東京高裁判決を差し戻し、今年8月末の高裁差し戻し審では逆転無罪が言い渡された。
 
 8月末は河谷氏の出所時期と重なる。公的資金投入批判をかわす国策捜査の明暗が深い翳を投げかけている。


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