肺炎のために死去した札幌銀行元頭取の潮田隆氏(84)の通夜が23日、札幌市中央区の博善斎場で行なわれた。旧札銀や北洋銀行関係者、取引先などから約300人が会葬した。(写真は潮田氏の葬儀)
潮田氏は昨年末から逆流性肺炎で体調を崩し、今年3月には愛育病院で肺炎の治療を行っていた。入院後は体調も安定し快方に向かっていたが、先週末に容態が急変し19日深夜に亡くなった。84歳だった。
1926(大正15)年7月、現在の札幌市中央区円山(当時は藻岩村大字円山)に生まれた。札幌一中(現札幌南高)卒後、旧制5高(熊本)を経てう48年3月京大法卒。
1948年4月に北海道拓殖銀行に入行し国際部長や業務推進部長を務めた。
草創期の外国為替業務に携わり拓銀の同業務の基盤を固め、海外拠点の開設にも取り組んだ。
77年に取締役、82年に常務に昇進したが翌83年に同じく拓銀出身で北海道相互銀行社長を務めていた水出久雄氏から招聘されて道相銀に転じた。
89年2月には社長として相互銀行の普通銀行転換に臨んだ。
潮田氏は回想録で、この普銀転換の日を生涯で最も感慨深い一日だったと述べている。と、いうのも、潮田氏は普銀転換が差し迫った88年末に食道がんを宣告されていたからだ。普銀転換まで陣頭指揮を執らなければならず、病を押して精力的に仕事を続けた。
普銀転換を見届けてから入院、そして手術。術後は5ヵ月の入院を余儀なくされた。
その後、再び一線に復帰し普通銀行になった札銀を個人と中小企業取引に強い銀行へ導いた。
94年に頭取を退き会長に就任したが、川西徹頭取が死去したため頭取を兼務。98年に吉野次郎氏に頭取を譲り、潮田氏は会長として吉野氏とともに北洋銀との提携、ホールディングス設立へと歩を進めた。2000年からは相談役を務めていた。
潮田氏の唯一の趣味はゴルフで63年からクラブを握り、「スコアよりも豪快さが際立っていた」(吉野氏)。
93年から07年まで社団法人札幌ゴルフ倶楽部の第3代理事長。
葬儀委員長を務めた吉野氏は、「後輩としてまだまだ指導を受けたかった」と潮田氏の死去を悼んでいた。なお、吉野氏は北洋銀副会長からこの日で顧問に退いた。